尖閣は昔から日本領土です。中国が尖閣を領有していたという史料はどこにもありません。
Senkaku is a Japanese territory from ancient times.
There are no historical records that China possessed Senkaku, anywhere.
尖閣 从 古代開始日本領土 。
中国 的領土的 正領有无論 什??地方 都 有的 中国 正領有 尖 閣 的史料。
In "Senkaku, a territory company executive of Japan" is a real name Twitter for China
中国版推特「尖閣日本領土」企業干部真名
台湾は中国の一部とみなしているが「尖閣諸島、魚釣島」との日本表記とともに
地図上の国境線が明らかに日本領土を示しているという(微博画面から)(1949-71)
That Taiwan considers it to be a Chinese part, but the borderline
in the map shows a Japanese territory with the Japanese notation with "Senkaku Islands,
the fishing island" clearly (from 微博画面)(1949-71)
台湾看作着中国的一部分,不?与,与「尖閣諸島,魚釣島」的日本??
一起地?上的国??明?地表示着日本領土就好了(从微博画面)(1949-71)
中華民国駐長崎領事から贈られた感謝状
https://www.spf.org/islandstudies/jp/info_library/senkaku-islands-01-history--01_history025.html
(Ref.1)
在長崎中華民国領事、福建省漁民の遭難救助に関する感謝状において「沖縄県...尖閣列島」と明記
https://www.spf.org/islandstudies/jp/info_library/senkaku-islands-01-history--01_history025.html
1919年(大正8年)、魚釣島付近で遭難し、同島へ避難した中国福建省漁民の男女31人(子供を含む)を古賀善次氏等が現地で救助。
その後、遭難者は石垣島に収容され、石垣村役場が救済、全者を中国へ送還。
1920年(大正9年)5月20日(※感謝状の日付)、長崎駐在中華民国領事は石垣村長の豊川善佐、玉代勢孫伴らに感謝状を送っており、
外務省の記録(Ref.1)からは7通の感謝状が送られたことが分かる。(Ref.1)
石垣市では、玉代勢孫伴への感謝状に加え、2010年に豊川善佐への感謝状が発見に至り、石垣市に寄託されている。
これらの感謝状には、遭難場所が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」(現在の魚釣島)と示されている(写真参照)。
感謝状の宛先については、牧野清氏による調査、産経新聞による取材(1996年)、田中邦貴氏による検討があるが、
現物として発見されたものは玉代氏、豊川氏へあてた2通である。
勇気のある日本人へ
上の4つの写真を見れば、誰でも尖閣は日本領土である」ことが、
一目で理解できます。
私は上の地図と感謝状を、
中国や台湾をはじめ世界中に撒き散らして欲しいのです。
というのは、「尖閣は昔から中国領土である」という、
間違った情報が世界の主流に成ろうとしているからです。
なぜなら、世界の国々は、
日本より中国の経済力の助けがなくては
どうにもならない状況になっているからです。
アメリカもこれからは日米協力よりも
米中協力
を重視していくと思います。
中国共産党に理屈は、全く通用しません。
欲しいものは欲しいのです。力こそ正義と思っています。
国際法も国際秩序も守りません。暴力団そのものです。
このままでは、必ず戦争になります。
現に中国人民の90%が武力で獲得せよと言っています。
日本人は米軍が何とかしてくれるだろう程度であまり関心がありません。
(米軍が日本の為に血を流すと思われますか?
ましてや、米軍が介入すると、中国は核を使用するかもわかりません。)

「欲しいのならあげたらいいじゃん。その事で日本が何か困る事あるの?」
という人さえおります(堀江貴文(ホリエモン))。
尖閣諸島をどこの国が取りに来るんですか?中国共産党ですか?
それは
日本人の妄想です」
と、いう人もいます。(鳥越俊太郎)
また、「日本に憲法9条がある限り、
日本を攻めてくる国なんて、あるわけないでしょう。」

と信じ込んでいる人もかなり多くいます。(憲法9条信者)

沖縄の人も米軍を追い出すことに一生懸命です。
元宜野湾市長の伊波洋一氏などは、
沖縄の米軍基地は、
全く
日本の防衛の役にたっていないと言っています。
大体において、日本は極東の一部だと言うことが、
理解できていないようです。
ですから、基地は勿論、海兵隊もオスプレイも要らないといっています。
尖閣にいたっては、昔は琉球のものではなかったと言っています。
私は、尖閣の歴史も国際法も不勉強な人が
よく市長になれたなあと驚きました。
(H250531の「朝まで生」より)
翁長沖縄県知事に至っては
全く国防意識が欠如していると思います。
中国海警局の公船が
毎日のように沖縄の領海に侵入しているのに、何もしません。
県知事でありながら
沖縄の人々の生命・財産を守る気配が全く感じられません。

私の個人的に思うことだが、
翁長知事は沖縄の独立を目指しているのだと思います。
中国共産党も当然後押しをしているでしょう。
その後、沖縄の米軍を追い出すでしょう。
当然中国共産党は、この時を狙って
「琉球自治区」が誕生したと宣言するわけです。
この後の琉球がどうなるかは、
チベット自治区
新疆ウイグル自治区内モンゴル自治区
どうなったのかを見れば想像つくと思います。
ここに至って、初めて沖縄の人たちは目が覚めるのです。

台湾二・二八事件についても知らないのではと思います。
1992年フィリピンから米軍が撤退すると、
中国軍は一気にスプラトリー諸島を武力で占領してしまった
事実を知らないのかも知れません。
ベトナムも1974年、西沙諸島を武力で占領されました。
軍事侵攻は現在も続いています。
1989年の天安門事件では、
3000人以上(ソ連報告)(5万人との情報もある)
の自国民を銃撃し戦車でひき殺しても
国民には全く伝えない恐ろしい国なのです。
その後国防部部長は、
「天安門広場では1人も殺されなかった」
と発言しています。
つまり中国という国家は、
世界に向かって大嘘をつこうが、自国民を虐殺しようが、
中国共産党の利益にさえなれば全てが許される国家なのです。

南シナ海問題でもわかるように、仲裁裁判所の判決が、
中国共産党の利益にならないと判断したから、
さっさとゴミ箱に捨ててしまいました。
尖閣に中国軍隊が上陸してしまうと、次は台湾と沖縄です。
まず沖縄を独立させるでしょう。
そのあと、中国共産党は沖縄の領有を宣言するでしょう。
沖縄の自由と、財産を没収されるまで 
(これを沖縄が解放されたという?)、
米軍の意味がわからない
のかもしれません。
戦争を避ける為にも、インターネットを利用して
世界中に撒き散らして欲しいのです。
中国は、領土を盗むプロです。
また、歴史を捏造するプロでもあります。(雄二郎)
上の2図は、日本政府も新聞テレビのマスコミも取り上げてくれません。
多分中国が怖いのだと思います
日本の外務省も中国の顔色だけを
伺っているように思えます。
都庁の地下街には、尖閣の写真が張っていますが、
このように堂々と上の2枚の写真を外務省の玄関に貼って
日本の姿勢を見せて欲しいと思います。
または逆に外務省が何もしないように
圧力をかけているのかも知れません。
野田総理も、
「尖閣は、我が国固有の領土だ」と口で言うだけでは、
中国に「尖閣は、中国固有の領土だ」と
言い返されるだけです。
政府も外務省も、
上の写真を見せる勇気さえないのです。
われわれ大衆が立ち上がって、
世界に発信するしかありません。
中国監視船の船員に聞きたい。
「この写真を見ても中国固有の領土だと思いますか?」と
そして13億の中国人民に、
「中国共産党は、どこか間違っているのではないか」
と、気付かせたいと思います。

そんな勇気のある日本人
一人でも増えてくれたらと願っています。
あなたは、欲しいものがあったら
騙してまでも強引に盗もうとする人を許せますか。
尖閣問題 http://unisoni.iinaa.net/frame_senkaku.htm
政府:http://www.youtube.com/watch?v=t78GO7efdYM&list=PLz2FHGxPcAlhlobcx-uY95TgNJKJ3zJmR
勇気のある日本人へ、
上の2つのサイトのアドレスと4枚の地図と感謝状を
中国大使館、韓国大使館、
はじめ、世界中のサイトにばら撒いてください。
米国大使館、国連、英国大使館、
中国、台湾、中国版ツイッター「微博」を初め、
どこでもいいですからばら撒いて下さい。
これから中国共産党への逆襲を始めましょう。
国際法も国際秩序も守らない
中国暴力団を崩壊させましょう。
(欲しいものがあれば、
相手を恫喝して取るというやり方です。
日本のヤクザとどこが違いますか?)
今までに、尖閣諸島を中国が領有していた事実は、
一度もありません。

その上、ハワイまで中国の領有地にし、
西太平洋を中国海軍が管理しようとする
「中華民族の夢」は、100年前の世界観であり、
現在の国際社会では、
認められないことに気付かせなければなりません。
その為にも、
世界中のサイトに拡散させる事を希望します。
翻訳ソフト : http://www.excite.co.jp/world/
できれば他の言語に翻訳して。上のアドレスを世界中のサイトに拡散希望。
尖閣は日本領土
政府:尖閣諸島に関する動画
The Senkaku Islands(English)
尖閣諸島(北京語)
尖閣諸島(台湾語)
尖閣諸島(韓国語)
中国が発行した地図(1960年)
尖閣は日本領土である

 先日、中国の程永華駐日大使は 尖閣が中国の領土と主張する理由については
(1)釣魚島などの島しょは中国人が最も早く発見し、命名、利用、管轄した。
明代の初め、釣魚島とその付属の島しょは中国の版図に入った
(2)日清戦争末期に日本が釣魚島を不法にかすめ取った。と発言しています。

しかし、これらについては、全て間違っていることがわかります。
例えば、明代の『石泉山房文集』。尖閣諸島のひとつ、大正島について、
中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、
郭汝霖(かく・じょりん)が
皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されています。
中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、
さらに少なくとも大正島を琉球だと認識した史料もあったことが分かり、
中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」と指摘しています。
(石井望・長崎純心大准教授)

昔から台湾の一部だった」ということであるが、
中国の地理書『大清一統志』には、台湾府の北限は「鶏籠城」までであり、
尖閣諸島は台湾の領土に含まれていません(拓殖大学・下條正男教授)
中国は「日本は戦勝(189495)に乗じて清国から盗み取った」と
主張していますが、
まったくのでたらめであることは明らかです。

日本政府は尖閣諸島がどこの国にも属さず、しかも人が住んでいない、
いわゆる国際法上の「無主の地」であることを
調べ始めたのは、1885年のことです。
詳細な調査の結果、「無主の地」であることが判明したため
1895
年に正式に日本領としました。
魚釣島付近で遭難した31人の中国漁民を救助したこともあり、
1920年には,当時の中国の外交機関である
中華民国駐長崎領事から感謝状が贈られ、
「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記し、
尖閣諸島を日本領土
として認めています。
尖閣が中国領土であった史料がどこにもないのに
どうやってかすめ取ることができるのでしょうか。

尖閣沖に膨大な資源があるとわかったのは1968年、
3次佐藤栄作内閣のときです。
中国は1971年から領有権を主張し始め
71年12月の外務省声明で
「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国の領土。
早くも明代にこれらの島嶼は
すでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、
それは琉球(沖縄)に属するものではなく
台湾の付属島嶼だった」と根拠づけています。

以上のことから、
中国は資源が眠っている尖閣が急に欲しくなった
のです。
理由はなんでもいい
のです。
「明代から中国領土であった」とでもしておけば
世界にはわからないだろう
と思ったのではないでしょうか。
最近は大陸棚説を出してきました。

「尖閣をよこせと言っているのに、
よこさないのならどのような結果になっても、責任は日本側にある。」

のようなことを言っています。
武力で取っても中国側には責任は一切ないぞと脅しています。
われわれ民主主義では、やった行動には必ず責任が伴います。
しかし、結果の責任は相手にあるといっています。
つまり共産党一党独裁ならどんなことでも可能になるのです。

「韓国を見習えば尖閣を奪える」
現に南シナ海で歴史的根拠がないのに一方的にラインを引き
フィリピンやベトナムから次々と島を奪っているではないですか。
上陸するや否や軍用施設を完成させます。
中国政府は漁民の為の非難施設だと言っています。
ウイグル族やチベット族に何をやっているかを見ると、
中国共産党の覇権主義がわかります。

同じことは必ず東シナ海でも起きると思います。
反日デモでは、「沖縄は中国領」というのをよく見かけました。
米軍が沖縄から出て行ったときに、
一気に中国の軍隊が尖閣に上陸するでしょう。
そして、「沖縄の中国属地化」をやり、
台湾
も一気に中国のものになるでしょう。
次は日本を狙うでしょう。そして自由と財産を奪うのです。
このとき、中国共産党は、「沖縄・台湾・日本が解放された」と、
世界に向かって高々と宣言するでしょう。
 先日、中国版ツイッター「微博」で、
1949年から71年まで中国政府は尖閣諸島を日本の領土と認めていた」
というのを目にしました。

中国共産党機関紙、人民日報、公式地図など根拠も挙げています。
発言をしたのは、女性の林氏。
「知識のない大衆が中国共産党に踊らされたことがわかった」

53年1月8日付の人民日報にも、
「尖閣諸島は、琉球群島にある」中国当局が監修した地図の画像も示したが、
日中境界線も明らかに日本領土を示しています。
「中国政府はこれでも釣魚島はわれわれの領土だといえるのか」
疑問を投げかけています。
「資料を見て(尖閣諸島が)日本領だったことが明白にわかった」と、
林氏支持の発言が出ています。

私は、まず中国政府が必死で削除している、
人民日報にある、
「尖閣諸島は、琉球群島にある」と書かれた地図や、
尖閣諸島を日本領土として認めている感謝状の資料
国連などの場で世界中に公開するのが一番いいと思います。
客観的な歴史の事実を突きつけることです。
新聞・テレビのマスコミもこの地図を一面に載せたらいいと思います。
なぜなら、それを見れば
誰でも「尖閣が日本領土である」ことが、一目で理解できるからです。

尖 閣 問 題
「棚上げ合意なかった」「中国は国際法違反」 米シンクタンク、尖閣問題でシンポ
2021/4/22(木) 16:39配信 産経新聞

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域で
中国海警局の船による領海侵入が常態化している問題で、
マイケル・デュカキス元米マサチューセッツ州知事が
主宰するシンクタンク「ボストン・グローバル・フォーラム」が
21日に開かれた第2回オンライン国際会議で、
柳井俊二元駐米大使らが尖閣諸島に対する日本の領有権の正当性を訴えた。

 会議には日米などの有識者約30人が参加。
柳井氏は「日本は明治28年の閣議決定で領土に組み入れ、
第二次大戦後のサンフランシスコ平和条約で
日本領土と扱われた上で沖縄の一部として米国の施政下に置かれたが、
昭和47年の沖縄返還協定で日本に施政権が返還された」と
日本の領有の根拠を示した。

 兼原信克前内閣官房副長官補は、
4半世紀異議を唱えなかった中国が尖閣領有の主張を始めたのは
昭和44年に国連が石油埋蔵の可能性を示唆してからで、
「同47年の日中国交正常化、同53年の日中平和友好条約交渉で
尖閣諸島『棚上げ』合意はないことは公開外交記録で明らか」と述べた。

 ロバート・エルドリッジ元在沖縄米海兵隊政務外交部次長は、
「中国は大正9年に駐長崎領事の感謝状で
『日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島』と記すなど
日本主権を認めながら、昭和44年から領有権を主張するのは
国際法に違反する」と訴えた。(岡部伸)

-----------

《独自》「尖閣は日本領」地図 政府が対外発信検討 中国主張覆す
尖閣と古地図2種
 尖閣諸島(沖縄県石垣市)を日本領と記した
19世紀後半の英国製とドイツ製の地図が新たに確認され、
政府が対外発信に活用する方向で調整していることが15日、分かった。
いずれも台湾との間に国境線が引かれ、
明治28(1895)年に領土編入する以前から欧州では
尖閣諸島が日本領であると認識していたことを示している。

-----------

《独自》「尖閣は日本領」地図 政府が対外発信検討 中国主張覆す
2020.12.15 22:29

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)を日本領と記した
19世紀後半の英国製とドイツ製の地図が新たに確認され、
政府が対外発信に活用する方向で調整していることが15日、分かった。
いずれも台湾との間に国境線が引かれ、
明治28(1895)年に領土編入する以前から
欧州では尖閣諸島が日本領であると認識していたことを示している。

 地図は「スタンフォード地図店」(英国)が
1887年に発行した「ロンドン・アトラス」と、
ドイツ地図発行人のシュティーラー氏による1875年版の「ハンド・アトラス」。
尖閣諸島の西側に領土・領海の境界を示す点線が引かれている。
ロンドン・アトラスは豪州の国立図書館などに所蔵されているが、
今回初めて現物が国内で確認されたとみられる。

 尖閣諸島をめぐっては、明治政府が明治28年1月、
10年間の調査により清国を含むどの国の支配も及んでいないと確認し、
沖縄県への編入を閣議決定した。

 中国側は、尖閣諸島(中国名・釣魚島)は28年4月に締結された
日清戦争の講和条約「下関条約」で台湾とともに日本に割譲され、
先の大戦の終戦に伴い、台湾とともに返還されたとする。
英国やドイツの地図は、尖閣諸島が
台湾の付属島だとする中国側の主張を覆すものだといえる。

 海洋国家であった英国で発行されたロンドン・アトラスなどは、
周辺国の情報を基に当時の領土関係を
比較的正確に反映した地図だと評価されている。
領土問題を調査研究する公益財団法人「日本国際問題研究所」の
永瀬賢介研究調整部長は両地図について
「日本編入を前に欧州は尖閣諸島を日本領だと認識していたことを
示す貴重な地図だ」と評価した。
尖閣史に詳しい長崎純心大の石井望准教授も
「地図は東洋で得られた最新情報を反映している」と分析している。

 両地図は、自民党の原田義昭元環境相の秘書、
高田彌(わたる)氏が個人所有していた。
高田氏は5年ほど前に英国の古地図店から購入したといい、
地図を有効的に活用するため15日、
日本国際問題研究所に寄贈した。
内閣官房領土・主権対策企画調整室は
同研究所から地図のレプリカの貸し出しを受け、
尖閣諸島や竹島(島根県隠岐の島町)に関する資料を
集めた「領土・主権展示館」(東京・霞が関)での展示や
ホームページへの掲載などを検討している。
尖 閣 諸 島
尖閣諸島に関する動画
尖閣諸島に関するQ&A(外務省)
200 Japanese lived on SENKAKU- Photos 谷山雄二朗
中国が尖閣・沖縄を 侵略する日
尖閣諸島が中国領ではない 5つの理由
尖閣諸島
尖閣は琉球の一部中国外交文書に記述中国共産党によって削除!>
【尖閣】中国から日本の領土という資料が発見
「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明 井上清
尖閣列島問題と井上清論文 奥原敏雄
【大爆音注意】尖閣諸島防衛は俺達に任せろ中国共産党によって削除!>
第一回ミニ講演会 ( 音声 ) 尖閣を取られるのは日本人の希望 ? !中国共産党によって削除!>
海保法改正で「偽装漁民」撃退を 東海大学教授・山田吉彦中国共産党によって削除!>
中国政府の尖閣サイトで「ブーメラン」「むしろ琉球とのつながり示す」との研究者も
尖閣諸島がシナの領土ではない証拠中国共産党によって削除!>
【尖閣問題】安心して尖閣諸島が日本のものだと確信できる動画中国共産党によって削除!>
原田義昭衆院議員に聞く「尖閣問題の新物証、毛沢東の地図」
「尖閣は日本領」中国の古地図に韓国人も興味津々中国共産党によって削除!>
尖閣諸島に関する地図論争、中国には日本を論破する100の方法がある中国共産党によって削除!>
日本の領土をめぐる情勢外務省
「尖閣は日本領」と表記した69年版中国地図をめぐって論争再燃中国共産党によって削除!>
尖閣諸島の地図に中国反論 日本の公表、重く受け止め中国共産党によって削除!>
中国・清王朝が「尖閣諸島は日本領土」と認めた公文書を発見中国共産党によって削除!>
日清戦争前、尖閣を清国領と認識していなかった清国公文書中国共産党によって削除!>
山田吉彦氏 今日の南シナ海は明日の尖閣だ
毛沢東が「尖閣=日本領」にお墨付き
来日の台湾・李登輝元総統を中国メディアが「口を極めて」非難・・・「尖閣は日本領」中国共産党によって削除!>
「尖閣は中国領」と報道するNHKなぜか削除!
南 京 大 虐 殺
”南京大虐殺は無かった”という映像は中国共産党によって、片っ端から削除されている。
中国や韓国は「騙す方が優秀な民族」だと考えている。
騙され続けているのに、性善説を信じて、黙っているから、中国や韓国から「劣等民族」だと舐められている。
韓国からは何時までも、金をせびられている。
「日本は騙されない、カッコいい国である」と主張するべきである!
南京大虐殺証拠写真を検証する中国共産党によって削除!
南京大虐殺は存在しない!中国共産党によって削除!
虐殺記念館の「はらわた抉られた写真は日本人だった」中国共産党によって削除!>
南京大虐殺は「本多勝一、捏造事件」である / 武田 邦彦中国共産党によって削除!>
南京事件の真相を語る『ザ・レイプ・オブ・南京』の著者・アイリス・チャンの霊言
日本人200人超虐殺の通州事件,中国指摘する南京事件と酷似中国共産党によって削除!>
中国の日本人虐殺「通州事件」 鼻に針金通し青竜刀で体抉る中国共産党によって削除!>
南京大虐殺証拠写真を検証する 2007年9月29日中国共産党によって削除!>
南京~つくられた”大虐殺”【シリーズ南京事件①】中国共産党によって削除!>
【重要証言】「南京大虐殺はなかった!証言集」中国共産党によって削除!>
桜井誠】日本人惨殺写真で『南京大虐殺』をでっち上げ!【寝返った日本兵】中国共産党によって削除!>
アパホテルの南京大虐殺論争 やっぱり大虐殺はなかった
アパグループ代表が中国を批判 「南京大虐殺は事実ではない」 中国共産党によって削除!>
中国人が知らない南京事件の真実!捏造を日本人が写真で完全論破!中国南京大虐殺の嘘中国共産党によって削除!>
南京大虐殺なんて無かったの?中国人「おじいさんから聞いた本当の歴史」あの戦争の真実中国共産党によって削除!>
中国崩壊】中国がアパホテルに激怒している理由がわかった! 例の本はあの事件に言及していた!中国共産党によって削除!>
南京虐殺されたとされる南京市民中国共産党によって削除!>
南京大虐殺捏造の証拠中国共産党によって削除!>
「南京大虐殺」は捏造ねつぞうだった中国共産党によって削除!>
大虐殺派のウソ写真と証言
南京大虐殺の真実
国民に知られてはいけない!本当に恐ろしい日本人洗脳計画の全貌中国共産党によって削除!>
百田尚樹が村上春樹を批判。村上春樹は不勉強の馬鹿?中国共産党によって削除!>
南京証言1
南京大虐殺記念館は社会党 田辺誠が造った H19.1.29
南京問題に火を付けたのは朝日の本多勝一(崔泰英)だった!
「南京大虐殺」は捏造ねつぞうだった中国共産党によって削除!>
「南京事件は4度あった」 小名木善行中国共産党によって削除!>
これが真実、南京入城だ!
「南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉 <中国共産党によって削除!>
【日英字幕】虐殺されたはずの南京市民
南京事件があったとされる期間の南京市内の様子
南京事件の真実 写真で見る『事実』と『ニセ物』
南京事件~中国の捏造写真
南京大虐殺(日本軍でない)記録抄
南京攻略の真実 30万人虐殺の嘘を暴く
戦線後方記録映画「南京」1938年
KSM】南京事件などないことを朝日新聞と毎日新聞で証明。南京市民たちは、日本軍の入城を歓声をもって迎えた。
南京市民たちは、日本軍の入城を歓声をもって迎えた。

中国兵たちの悪行に辟易していた南京市民たちは、
日本軍の入城を歓声をもって迎えた。
これは日本軍の入城式の日(1937年12月17日)に、
食糧やタバコの配給を受け、歓声をもって迎える南京市民ら。
市民がつけている日の丸の腕章は、
民間人に化けた中国兵ではないことを証明するために、
日本軍が南京市民全員に配ったものである
(毎日版支那事変画報 1938.1.11発行)
これが真実、南京入城だ!
これが真実、南京入城だ
これは昭和12年12月17日の
南京入城の際の真実の映像です。
公私共に厳格で大変人情の厚かった松井石根大将はじめ、
世界一厳しい軍律の中で自分達は皇軍であるという
高い誇りと強い仁義を持った精鋭兵隊さん達。
 日本には2600年以上一貫して続く長い歴史による
保守的思想と武士道精神が融合した和の精神文化があり、
愚行を行なえば後に続く子孫や祖先への
名折れになることを皆自覚していたからこそ、
風紀を乱すものは一切いなかったのである。
 博学の明治天皇の教育勅語を
教育の根幹としていた御蔭により現代の日本人には
想像もつかない程高い道徳倫理観があったのだ。
後に続く私達日本人は先人が歩んできた歴史に誇りを持ち
感謝の念で後世に語り伝えねばならないのだ。
私たちは祖先を誇りに思う!
南京大虐殺と欧米人の証言
南京大虐殺と欧米人の証言
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-169.html

南京入城に際し、新聞記者たちも同行
南京が日本軍によって陥落したとき、
日本軍兵士たちとともに、
多くの新聞記者やカメラマンが共に南京市内に入りました。
その総勢は100人以上。また日本人記者たちだけでなく、
ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。
しかし、その中の誰一人として
「30万人の大虐殺」を報じていません。
 アメリカのパラマウント・ニュースも、
南京占領の記録映画をつくっていますが、
その中に「30万人大虐殺」は報じられていません。
また当時、中国で「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」

というイギリス系の英字新聞が発行されていましたが
、たとえば1937年12月24日(南京陥落の11日後)の紙面をみると、
日本軍が南京市民に
食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、
写真入りで報道されています。
これが一体「大虐殺」のあったという都市の光景でしょうか。
”南京大虐殺は、中国兵の仕業である”
というタイトルでYou TubeにUPすると、
中国共産党に5分ぐらいで削除されました。
だから
”太平洋戦争は、日本兵の仕業である”
南京大虐殺とは、中国兵の仕業である
 (削除される前にコピーして拡散希望)3,689字
南京大虐殺は、中国兵の仕業である
『中国共産党に削除される前にコピーして拡散希望(翻訳,世界へ)
南京大虐殺は、国民党軍(1937(昭和12)年)や中国共産党軍(1949(昭和24)年)が
南京市民にやった
虐殺を全て日本軍がやった事に転嫁した事件である。

先日、非常に驚いた。下記をクリックすれば分かる。
南京事件は4度あった」 小名木善行
https://www.youtube.com/watch?v=E0qRG4cG_T4&t=416s
【この動画は、悪意のある表現の禁止に関する
YouTube ポリシー違反のため削除されました】
と表示。
つまり、中国共産党はYou Tube職員の中にも潜んでいて
中国共産党にとって都合の悪い情報はどんどん削除されている。

南京事件は4度あった」 小名木善行 先生 の内容は、
https://blog.goo.ne.jp/kirakiraboshi31/e/91119c4364b488bd13d9cfd5122fd84d
1.第一次南京事件 (1913(大正2)年)
2.第二次南京事件 (1927(昭和2)年)
3.第三次南京事件 (1937(昭和12)年)
4.第四次南京事件 (1949(昭和24)年)

これが本当の歴史である。
しかし、これだと中国共産党にとって
非常に都合が悪い
なぜなら、
3第三次南京事件(1937(昭和12)年)の時に、
日本軍が南京攻略前、空から「無血開城を求める」ビラを撒く。
蔣介石の国民党軍が船や列車で逃げる時に、
南京市民が邪魔で乗れないので、一斉射撃で虐殺した
https://www.youtube.com/watch?v=662ZcLwwfqY
http://unisoni.iinaa.net/senkaku3.htm#sinjitu
そして、この虐殺を、
日本軍がやった事にしたのである。
この事実を国民党少尉が告白しています(2012年1/27)
20歳で少尉だとしたら、
戦後66年、死ぬ前年94歳の時に孫に告白したのである。
だから、日本軍が入場した時には
既に揚子江は死体と血に染まっていたのである。
国民党軍は逃げた先々で

「南京で日本軍による大虐殺があった」
とデマを流した。
このデマが全ての始まり!


また4第四次南京事件(1949(昭和24)年)
毛沢東率いる共産党軍から見れば、南京城内の人はみんなブルジョア。
共産主義とはブルジョアから財産を取り上げ、
共産主義者たちに分配することが、彼らにとっての正義。
人権という概念はない。だから、片っ端から殺し、財物を奪った。
そのときに10万~15万人の人々が殺された。
おおむね3人に1人が殺された。
この時には、大きな穴を掘って遺体を埋めた。
ところが、1945(昭和20)年に終戦なので、日本軍はいません
しかし、これらの共産党軍の残虐行為を、全て日本軍がやった事にしている。
つまり、本当の歴史を教えると、
中国共産党がいかに残虐であったかが、
ばれてしまのである。

当時の残虐な写真 (備考2) は、全て自分たち、
蔣介石の国民党軍や毛沢東の中国共産党軍のやったことである。

中国人がいかに残虐であったかは、通州事件(1937年7/29)を見れば分かる。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1025.html
日本軍守備隊の留守中に、
過半数が婦女子だった日本人居留民420名が突然襲われた。
そして世界の残虐史上類例を見ない残虐行為を受け、虐殺された。
剣で手の平に穴を開け針金を刺し込み10人ほど束ねて殺す。
粽(チマキ)。国民党軍は台湾二二八事件(1947年)でもやった。
https://nezu3344.com/blog-entry-2185.html
保安隊の兵隊や学生が、みんなの前に日本人妊婦を引きずり出し、
腹を切り裂き、取り出した赤ちゃんを投げ合って、最後は踏み潰す。
女性は子供から老婆まで全員強姦された。
裸体のまま膣部にほうきを刺されたり、陰部を青竜刀で切り取られたり、
腸を引きずり出されたり、頭の皮を剝がれたり、
目玉を繰りぬかれたり、悲惨な叫び声の中、殺された。
止めようとする人は誰一人なく、みんなの好奇の目前で、
約230名の日本人居留民が虐殺された。
これら日本人の惨殺死体は、南京大虐殺記念館に行けば見られます。
(勿論、これら日本人の惨殺死体は、日本軍がやった事になっている)

世界一厳しい軍律の中で自分達は皇軍であるという
高い誇りと強い仁義を持った日本軍は絶対にしない。


何とかして、中国軍による残虐行為を覆い隠したい。
30万人の中国人民が虐殺されたことを日本軍に転嫁したい。
だから、南京大虐殺記念館(田辺誠が造) (備考3) の写真は、
全て日本軍がやったように捏造されている。
こうすれば、中国兵の残虐行為を覆い隠せれる。
つまり”日本人なら簡単に騙せる”と思ったのである。

30万人という数字は広島と長崎の2つの原爆での死者数の合計21万人
を超えた数字をという事で、出てきたもの。
しかし、当時の南京の人口は20万人。もっとも村上春樹は40万人と。(備考1)
ちなみに30万人に疑問を呈した教師,宋さんは除籍処分。
宋さんを擁護した教師,李さんは精神病院に入院
させられた(2021/12)。
南京事件の真実を知られる事を、中国共産党は最も恐れているのである
そもそも、4南京事件(1949年)も天安門事件(1989年6/4)も、
死者数は勿論、たった一人の氏名すらわからない。
これこそ、中国が自国民を虐殺した証拠
中国は歴史を捏造するプロである。
4南京事件天安門事件も、歴史から消そうとしている。

南京大虐殺は国民党軍や中国共産党軍の仕業である。
決して日本兵の行為ではないことを、我々の父や祖父の名誉の為にも
我々日本人は主張しなくてはいけない。
戦後76年もの間、日本の歴代総理や外務省は簡単に騙されたが、
日本国民はバカではない


現在,このような「南京事件」の嘘が
「世界の記憶」(ユネスコ)に登録されようとしている。
こんな状態にしたのは、今の老人と物言わぬ日本人。
日本の若者には、SNS等、インターネットを利用して
「南京大虐殺は、中国兵の仕業」という真実の歴史を世界に発信して欲しい。

南京大虐殺は無かった”という映像
中国共産党によって、片っ端から削除されている
中国や韓国は「騙す方が優秀な民族」だと考えている。
騙され続けているのに、性善説を信じて、黙っているから、
中国や韓国から「劣等民族」だと舐められている。
おかげで、韓国には何時までも、金をせびられている。

日本人は騙されたりは絶対しない。
私は、中国や韓国ではない、
この日本に生まれて本当に良かったと思っている。
なぜなら、今では日本人としての誇りもあるし、
こんなにカッコいい国は他にないと思っているからである。

①「南京事件は4度あった」小名木善行 先生の内容
http://unisoni.iinaa.net/senkaku3.htm#nankin_4do
②これが真実、南京入城だ!
https://www.youtube.com/watch?v=Z3L3eVE1kQA&list=PL6DE998C50C5DF398&t=0s

③「南京大虐殺は自分たちがやった」と孫に告白した国民党少尉(2012年1/27)
当然、中国共産党によって削除。
https://www.youtube.com/watch?v=wSNB4vuxoiw&t=118s
しかしこれをコピーしていた。その内容は下記
https://www.youtube.com/watch?v=662ZcLwwfqY
http://unisoni.iinaa.net/senkaku3.htm#sinjitu

虐殺されたはずの南京市民
https://www.youtube.com/watch?v=_wN4rOh8FWU&list=PLF1F831785DAC76E0
南京事件があったとされる期間の南京市内の様子

https://www.youtube.com/watch?v=Ne4EeMZ1M0s&t=66s
中国人による四度あった南京事件
https://blog.goo.ne.jp/kirakiraboshi31/e/91119c4364b488bd13d9cfd5122fd84d
南京事件の真実。写真で見る『事実』と『ニセ物』(備考2)
https://www.youtube.com/watch?v=HQuGxxe6peg
南京事件~中国の捏造写真(備考2)
https://www.youtube.com/watch?v=8-xcZ6Baefs
南京攻略の真実 30万人虐殺の嘘を暴く
https://www.youtube.com/watch?v=arqPwml7Y_8
戦線後方記録映画「南京」1938年
https://www.youtube.com/watch?v=X4B2E-0EYCc&t=409s
南京事件などないことを朝日新聞と毎日新聞で証明
https://www.youtube.com/watch?v=yK3_KlKhqjc&t=111s
南京大虐殺(日本軍でない) 記録抄
https://www.youtube.com/watch?v=EcgkNuGSu0Q
上記の映像・文章はそのうちに中国共産党によって削除される。
その前にコピーして、世界に拡散して下さい


(備考1)村上春樹「騎士団長殺し」(第2部、P81)。
(備考3)南京大虐殺記念館は社会党,田辺誠が造った
https://www.youtube.com/watch?v=Jmv_aJGjnZM

---------------------------------------------------------------------

(備考1)’村上春樹「騎士団長殺し」(第2部、P81)。
日本軍の南京入場について「日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、
そこで大量殺人がおこなわれました。
戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。
日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、
降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。
とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、
打消しがたい事実です。
中国人死者の数を40万人というものもいます」と言っています。
中国共産党が泣いて喜ぶような架空の模範的な推薦文である。
もし、ノーベル賞でももらえれば、
南京大虐殺は40万人に格上げされるでしょう。
なぜならば「日本のノーベル賞作家が言っているのだから
これほど確かな事実はない」と、
中国共産党は全世界に向かって発信するからです。

(備考3)’南京大虐殺記念館は社会党、田辺誠が造った
https://www.youtube.com/watch?v=Jmv_aJGjnZM
中国共産党の話によると当時社会党の委員長であった田辺誠に
南京大虐殺記念館を造るように何度も催促されたようである。
しかし中国共産党は「とんでもない、そんなお金は無い」と。
すると総評(日本労働組合総評議会)から3,000万円の資金が出た。
その上建物の設計も日本人。
870万円かかった。残りの2,130万円は中国共産党で分配。

「天安門事件」、「第四次南京事件 」や「台湾二二八事件」も
数十年もすれば、消えてなくなるでしょう。


◆「ねずきちのひとりごと」より(四度あった南京事件)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1452.html
第二次上海事件 (1937(昭和12)年)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-780.html
盧溝橋事件 (1937(昭和12)年,7/7)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-710.html
通州事件 (1937(昭和12)年,7/29)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1025.html
台湾二二八事件 (1947(昭和22)年,2/28)
https://nezu3344.com/blog-entry-2185.html
南京大虐殺とは、中国兵の仕業である(コピーして拡散希望)
http://unisoni.iinaa.net/senkaku3.htm#tyugokuhei

南京大虐殺 は なかった
南京大虐殺は、虚構の産物である。
これも慰安婦問題と同じで、朝日新聞が捏造記事
(朝日新聞の記者「本多勝一」
(本名:崔泰英(在日朝鮮人))が、
「中国の旅」という
検証をなにもしていない書を出した)

を書かなければ存在しない虐殺
である。

南京大虐殺とは、中国兵の仕業である

何はともあれ、
南京入城の映像があるのでこれを見れば
「南京大虐殺」は捏造だとわかる

世界一厳しい軍律の中で自分達は皇軍であるという
高い誇りと強い仁義を持った精鋭兵隊さん達。
 日本には2600年以上一貫して続く長い歴史による
保守的思想と武士道精神が融合した和の精神文化があり、
愚行を行なえば後に続く子孫や祖先への
名折れになることを皆自覚していたからこそ、
風紀を乱すものは一切いなかったのである。


「南京事件は4度あった」 小名木善行
中共がいう南京大虐殺は、
ねつ造でしかありませんが、
南京には、実際に起こった虐殺事件があります。
これは史実です。
その南京虐殺事件は、以下の4つです。

 第一次南京事件、1913年(大正2)
  張勲軍が南京に乱入し、城内の民間人に対して
  虐殺、強姦、略奪を行った事件

 第二次南京事件、1927年(昭和2)
  国民党の国民軍が騙し討ちのような形態で南京に入り込み、
  城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。

 第三次南京事件、1937年(昭和12)
   日本軍が南京攻略前、
空から「無血開城を求める」ビラをまく。
南京市民は重慶へ「大移動」、敵軍幹部は「逃亡」。
そこで蒋介石の国民党が船や列車で逃げる時に
一般市民が邪魔で乗れないので
市民を一斉射撃で虐殺したのを
全部日本軍のせいにしています。

国民党少尉が告白しています(2012年1/27)。
https://www.youtube.com/watch?v=662ZcLwwfqY
20歳で少尉だとしたら、戦後66年、
死ぬ前年94歳の時に孫に告白したのである。
つまり、日本軍が入場した時には
既に揚子江は死体と血に染まっていたのである。
国民党軍は逃げた先々で
南京で日本軍による大虐殺があった」とデマを流した。
全てはこのデマから始まった

よっぽど日本軍が強かったのでしょう。
陥落直前の南京の様子
を見ればその状況がわかります。

日本軍が南京入場の際には歓迎されたのである。
そして蒋介石の国民党や共産党の略奪や暴行から
救われた人達が大挙して入城し、
5万人まで減っていた人口は、
30万人に膨れ上がった。
新聞でも「平和甦る南京」とされています。

南京大虐殺は、
中国国民党がプロパガンダとして捏造したものを、
東京裁判でアメリカが原爆を正当化するため
残虐な日本人を作り、
断罪の為に利用したものである。
南京大虐殺は、朝日新聞
キャンペーンとして取り上げ、
それを更に中国共産党が
反日ナショナリズムに利用した、全くの捏造。

陥落直後の南京の日本軍の配給を受ける
避難民は、喜びに満ちあふれていた。
日本軍は規律正しく、
司令官は、略奪や強姦を決して許さなかった。
それに対して、中国の国民党司令官は、
略奪や強姦を許さなければ殺された。
これについても、日本人が黙っていると、
いつの間にか30万人が虐殺

されたことになっています。

 第四次南京事件、1949年(昭和24)
中共軍が南京を制圧し、
資本家らを襲い虐殺、強姦、略奪を行った事件。
南京の最大の悲劇は
蒋介石が逃げて行ったあとの南京市であった。
毛沢東率いる共産党軍から見れば
南京城内の人はみんなブルジョアである。
共産主義とはブルジョアを排除して
ブルジョアから富を取り上げて
自分たちで分配すれば自分たちが幸せになれる。
民衆が幸せになれる。

だからブルジョアから財産を取り上げるためには
何をやってもかまわない。
ですから片っ端から殺し、また財物を奪い、
人としての尊厳貞操を奪い、
生きる権利すべてを否定の対象とされた。
そのときに10万~15万人の人々が殺された。
おおむね3人に一人が殺された。

この時には、大きな穴を掘って遺体を埋めたが、
これらの共産党軍の残虐行為を覆い隠すために、
すべて日本軍がやったことになっている。
この時は昭和24(1949)年なのだ。
昭和20年で終戦でもう日本軍はいないはずである。
彼らがやられたというのは、
すべて自分たちがやったことである。
そしてすべて中国においては
軍隊と暴徒とヤクザは全く同じである。

 ですから
京大虐殺記念館の写真は、全てが嘘である。(備考3)
残虐な写真は全て自分達、
毛沢東の中共軍や蒋介石の国民党軍たちが
やった事であるが、
日本軍がやったように写真は捏造されている
これはある日本人の証明済みである。

南京事件の真実 写真で見る『事実』と『ニセ物』 (備考3)
https://www.youtube.com/watch?v=HQuGxxe6peg
南京事件~中国の捏造写真 (備考3)
https://www.youtube.com/watch?v=8-xcZ6Baefs

ちなみに南京大虐殺記念館は
日本の社会党 田辺誠が造った建物である。

中共の話によると
当時社会党の委員長であった田辺誠に
南京大虐殺記念館を造るように
何度も催促されたようである。
しかし中共は「とんでもない、そんなお金は無い」と。
すると総評(日本労働組合総評議会)から
3,000万円の資金が出た。
その上建物の設計も日本人によるものであった。
実際には870万円しかかからなかった。
残りの2,130万円は中共で分配したそうである。

中国系アメリカ人の
アイリス・チャンによって書かれ、
1997年に発刊された
『ザ・レイプ・オブ・南京』がある。
「中国の内戦における被害を全部日本の責任として
押し付けているのではないか」と、
南京大虐殺の存在に疑いを持つようになったという。
 さらに、チャン氏の霊は、「南京大虐殺」では
30万人の人が殺されたと言われているが、
「30万」という数字が出てきた背景には、
「何とか増やせないかと努力していた人が
いた」ことを“白状"した。
アメリカは、
東京大空襲や広島・長崎への原爆投下といった
国際法違反のホロコーストで、
30万人以上の日本人を犠牲にした

そのため、
30万という数字を“捏造"してアメリカよりも
日本がより残虐であったことをアピールし、
空襲や原爆投下といった行為を
正当化したかった
のだろうと述べた。
 ちなみに『ザ・レイプ・オブ・南京』の序章には、
「南京での死者数は、
アメリカによる東京大空襲の死者数(8~12万人)
を超え、
広島と長崎に対する二つの原爆攻撃の死者数の合計
(21万人)を超えていることを思うと、
衝撃を感じざるを得ない」
と、
わざわざ書かれてある。
 このように、当時は、
日本を悪者にしたいという点で
利害が一致していた米中が、
執筆をバックアップしたようだ。
日本人なら騙せるだろうと考えたのかも知れません。
安全区を管理していた
外国人の人口動態の調査によると、
南京占領前20万人(虐殺30万人)1か月後25万人
つじつまが合わない。

村上春樹氏 の正体
反日日本人である村上春樹氏は
40万人虐殺(騎士団長殺し)と言っています

不勉強極まりない。

なぜならば南京大虐殺は
なかったからである。


村上春樹(反日日本人)は
「騎士団長殺し」(第2部、P81)の中で、
日本軍の南京入場について
日本軍が激しい戦闘の末に
南京市内を占拠し、
そこで大量殺人がおこなわれました。

戦闘に関連した殺人があり、
戦闘が終わったあとの殺人がありました。

日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、
降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。
とにかくおびただしい数の市民が
戦闘の巻き添えになって殺されたことは、
打消しがたい事実です。
中国人死者の数を40万人というものもいます
と言っています。

14億人の中国人と中国共産党が
泣いて喜ぶような
架空の模範的な推薦文を作文している


とにかく 中国共産党のプロパガンダそのままである。
本当はどうであったのか。
全く勉強していない


自分の本を巨大な
中国市場で売りたい売国作家である

ちょうど吉田清治が済州島で慰安婦の強制連行が
あったとの記事をお金の為
朝日新聞に書いたのと同じではないか。
もしノーベル文学賞をとれば
中国共産党がこれを利用して
40万人虐殺(南京大虐殺)に格上げするでしょう。
なぜなら
「日本のノーベル賞作家が言っているのだから
これほど確かな事実はない
」と
中国共産党は世界に向かって発信するからです。
これからも日本人が黙っていると、
さらにエスカレートして50万人虐殺になると
桜井氏は述べています。 <なぜか削除!>
村上春樹のファンは私の周りにもいる。
ぜひ反論して欲しい。


「戦後70年間にわたって日本は押せば引く国」
「文句を言えば金を出す国」
という敗戦国に悲哀を味わっていたが、
「本当はどうなのか」
ということを知ってもらう必要がある」
(アパホテル)

アメリカが奴隷制や原爆を正当化するために、
また中国共産党軍の残虐行為を覆い隠すために、
戦後、アメリカと中国は一緒になって,
日本を残虐非道な国
に創り上げてきました。
優しい日本人は、相手を刺激してはいけないと思い、
黙っていたからこうなったとも言えます。
事実と違うことは、
毅然とした態度で反論しましょう。
われわれ日本人は黙っていてはいけない。

「南京事件は4度あった」 小名木善行 (1/2)
中国共産党によって削除!>
南京事件は4度あった」 小名木善行
中共がいう南京大虐殺は、ねつ造
でしかありませんが、
南京には、実際に起こった虐殺事件があります。
これは史実です。

中国人による四度あった南京事件
https://blog.goo.ne.jp/kirakiraboshi31/e/91119c4364b488bd13d9cfd5122fd84d

その南京虐殺事件は、以下の4つです。

 第一次南京事件(大正2(1913)年)
  張勲軍が南京に乱入し、城内の民間人に対して
  虐殺、強姦、略奪を行った事件


 第二次南京事件(昭和2(1927)年)
  国民党の国民軍が騙し討ちのような形態で
南京に入り込み、
  城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件


 第三次南京事件(昭和12(1937)年)
  南京に陣取った国民党軍が、
  日本軍がやってくるからと城内で
  虐殺、強姦、略奪を行った事件。


日本軍が南京攻略前、
空から「無血開城を求める」ビラをまく。
南京市民は重慶へ「大移動」、
敵軍幹部は「逃亡」。
蒋介石の国民党が船や列車で逃げる時に
一般市民が邪魔で乗れないので
市民を一斉射撃で虐殺したのを
全部日本軍のせいにした。

この事実を国民党少尉が告白しています(2012年1/27)。
https://www.youtube.com/watch?v=662ZcLwwfqY
http://unisoni.iinaa.net/senkaku3.htm#sinjitu
20歳で少尉だとしたら、戦後66年、
死ぬ前年94歳の時に孫に告白したのである。
つまり、日本軍が入場した時には
既に揚子江は死体と血に染まっていたのである。
国民党軍は逃げた先々で
「南京で日本軍による大虐殺があった」とデマを流した。
これが全ての始まりである!

日本軍が南京入場の際には歓迎された。
新聞には「平和甦る南京」と。


 第四次南京事件(昭和24(1949)年)
  中共軍が南京を制圧し、資本家らを襲い虐殺、
  強姦、略奪を行った事件。

第四次南京事件(昭和24(1949)年)
中共軍が南京を制圧し、
資本家らを襲い虐殺、強姦、略奪を行った事件。
南京の最大の悲劇は
蒋介石が逃げて行ったあとの南京市であった。
毛沢東率いる共産党軍から見れば
南京城内の人はみんなブルジョアである。
共産主義とはブルジョアを排除して
ブルジョアから富を取り上げて
自分たちで分配すれば自分たちが幸せになれる。

民衆が幸せになれる。
だからブルジョアから財産を取り上げるためには
何をやってもかまわない。
ですから片っ端から殺し、また財物を奪い、
人としての尊厳貞操を奪い、
生きる権利すべてを否定の対象とされた。
そのときに10万~15万人の人々が殺された
おおむね3人に一人が殺された。
この時には、大きな穴を掘って遺体を埋めたが、
これらの共産党軍の残虐行為を覆い隠すために、
すべて日本軍がやったことになっている

この時は昭和24(1949)年なのだ。
昭和20年で終戦でもう日本軍はいないはずである。
彼らがやられたというのは、
すべて自分たちがやったことである。
そしてすべて中国においては
軍隊と暴徒とヤクザは全く同じである。

南京大虐殺とは、中国兵の仕業である

中国と日本の歴史認識の違い

日本人にとっての歴史とは過去のお手本である。
今この瞬間にどう判断したらよいか、
どっちに向かって進めばいいか、
どうすればよりよい未来を築くことが出来るか
を考えるに当たっては
過去のお手本、これが日本人にとっての歴史になる。
ですから日本人にとって必要な歴史とは、
事実を正確に把握すること
事実認定が間違っていたら、
今の判断が間違ってしまう。
これが日本人にとっての歴史観になる。

中国の歴史とは、
王朝の正統性を証明するためのもの

自分たちは散々悪いことをしてきて
政権を取ったけれども、
その政権を取ったのは意味があるのだ。
自分たちは偉いのだ。
それを証明するものが歴史である。
中国共産党がいかに勇敢で正しくて、
いかに人民を解放させてきたかが、
彼らにとって必要な歴史になる。
そのためにどんどん作文をする。
歴史とは作るものであり、
その創ったものが事実であるかどうかは関係ない
それが彼らにとっての歴史認識である。
中国人による四度あった南京事件 (2/2)
(東アジア歴史文化研究会)
(削除される前にコピーして拡散希望)
中国人による四度あった南京事件
(削除される前にコピーして拡散希望)
2012-03-09 | 歴史の真実

東アジア歴史文化研究会
日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう
歴史の書き換えはすでに始まっている

南京の避難民が、日本兵から菓子・煙草の配給を受け、
喜んで日本軍万歳を叫んでいるところ。
この自然な笑顔を見てください。
中共がいう南京大虐殺は、ねつ造でしかありませんが、
南京には、実際に起こった虐殺事件があります。
これは史実です。


その南京虐殺事件は、以下の4つです。

 第一次南京事件(大正2(1913)年)
  張勲軍が南京に乱入し、
城内の民間人に対して虐殺、強姦、略奪を行った事件

 第二次南京事件(昭和2(1927)年)
  国民党の国民軍が騙し討ちのような形態で南京に入り込み、
城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。

 第三次南京事件(昭和12(1937)年)
  南京に陣取った国民党軍が
日本軍がやってくるからと
城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。

 第四次南京事件(昭和24(1949)年)
  中共軍が南京を制圧し、
資本家らを襲い虐殺、強姦、略奪を行った事件。

1~2では、在留邦人も被害にあっています。
3は、中共政府が宣伝する南京攻略の
「前」に実際にあった出来事です。
4は、昭和24年ですから、すでに大東亜戦争も終わり、
日本とはまるで関係のない状態で起こった事件です。
以下、順にその概要をみてみます。

----------------------------------------------------------------------------------------------------

第一次南京事件  大正2(1913)年

この事件は、大正2(1913)年8月に起こりました。
支那では清朝政府が辛亥革命によって倒れるのですが、
このあと孫文の後を受けて
袁世凱が新政府の大統領に就任します。
ところが袁世凱の狙いは、支那の民主化とはほど遠く、
単に自らが皇帝となろうとする卑しいものであったため、
これを不服とする孫文派の革命功績者たちが、
袁世凱と激しく対立します。

その対立者たちを押さえこむために、
袁世凱は軍事力にものを言わせるのですが、
この年の8月31日に南京城内に乱入した袁世凱派の張勲が、
南京城内で約一ヶ月にわたり、
虐殺、強姦、略奪の限りをつくしています。

この事件で、南京城内では、
支那人の市民に数千人におよぶ死者がでたのですが、
それだけでなく張勲らは、外国人居留区にまで侵入し、
そこで日本人商店も襲撃して、少なくとも日本人10数名を殺害しました。
このとき襲われた商店は、ちゃんと日章旗を掲げていたにもかかわらず、
張勲らは日本人を襲撃し、
日本人商店で働く邦人を虐殺し、女性を強姦し殺害しています。

当然のことながら、このとき日本国内の世論は激昂しましたが、
支那との紛争を回避したい日本政府は、
あくまで穏便にと報復措置をとらず、
襲われたのは単に張勲軍の何かの
手違いにすぎなかったのではないか、
などと理屈にもならない答弁をしています。

このため怒った暴徒によって、9月5日には、
阿部政務局長が日本国内で斬殺されるという事件まで起こりました。
本来なら、このとき外地にいる邦人居留民保護のため、
軍が即応できる体制をとっていれば良かったのです。
欧米諸国は、すべてそのようにしていました。
自国民が被害にあった場合、
即時断固とした報復攻撃を行っていたのです。

ところが日本政府は、穏便な事態の収拾を図るためにと、
軍の動員をしていません。
当時の日本陸軍は、
国歌対国家の大きな戦争を前提として組織されており、
勅命がなければ一切動くことができない機構になっていたのです。
このことが後日、支那人たちを増長させ、
さらに被害を拡大する原因となったことは、
歴史に学ぶべき大きな反省事項だと思います。

一方、これも大事なことなのですが、
この第一次南京事件の主犯である張勲は事件後、
なんと功績者として江蘇都督に昇格し、次いで長江巡閲使となり、
挙げ句の果てが、定武軍元帥にまで出世しています。
日本ではとても考えられないことです。

日本人の感覚では、戦(いくさ)でもないのに、
無辜の市民を欲しいままに
虐殺、略奪、強姦しまくるような不埒な人物は、
どんな場合でも尊敬などされることはないし、
そうした人物が政府要人として、
あるいは軍の幹部として出世することなど、まずあり得ません。

歴史をひもといても、そうした極悪非道な人物が、
日本史において成功者となったという事例は、まったくない。
こう書くと、信長が比叡山の焼き討ちをしているじゃないか、
という声が上がりそうですが、
当時の比叡山は僧兵を抱えた一種の仏教軍閥です。
そしてこれを討つ信長には、
ちゃんとした大義名分が備わっています。

他方、支那という国は、
権力者ないし軍事強者が弱者を虐殺、強姦、略奪するのは、
むしろあたりまえの風習です。
秦の始皇帝の時代から、その歴史は繰り返され続けている。

暴れ出したら、虐殺強姦収奪は当たり前の支那社会に対し、
あくまで国家として軍は正々堂々とあるべきであり、
奉勅があってはじめて軍が動員されるという日本社会。
両者のこの違いは、さらに東亜を共倒れにし、
漁父の利を狙おうとする欧米諸国に付け入る隙を与え、
政情をますます複雑なものにしていきます。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

第二次南京事件  昭和2(1927)年

第一次南京事件が、ある意味、
堂々と南京城に攻め込んだ張勲一派が、
城内で略奪等をほしいままに行った残虐な事件とするならば、
この第二次南京事件は、
その不法行為にさらに「騙し討ち」の要素が
加わった悪質きわまりない事件です。

昭和2(1927)年3月24日の早朝、
国民軍総司令の蒋介石が率いる北伐軍が南京城に入城しました。
支那国家の独立、未来の民主政権の樹立を謳う蒋介石軍は、
当初、きわめて平和裏に南京城に入城しているのです。

ところが、入城した蒋介石軍は、南京城内で反帝国主義を叫び、
外国人居留区に乱入して領事館や居留地などを突然、襲撃し、
各国の領事らを暴行し、掠奪と破壊の限りを尽くしたのです。

この事件で、日本人1名、英国人2名、米国人1名、
イタリア人1名、フランス人1名、他1名の死者が出、
さらに2名の行方不明者が出ています。

29日の東京日々新聞に、このときの模様が詳しく報じられています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
弓削南京特派員二十九日発

24日午前5時頃である、国民第二軍、第六軍、第四十混成旅団の
各軍から選抜された約2000名の決死隊は
南京南部の城門を押開き侵入して来た。
市民は各戸に「歓迎北伐軍」の小旗を掲げ爆竹を揚げて歓迎した。
われ等在留日本人は、
「南軍(蒋介石軍)が入った以上もう大丈夫だ」と
安堵の胸を撫でていた矢先き、
6時半頃、平服隊や左傾派学生に手びきされた約百余名の国民軍が
突如我が領事館に向って一斉射撃を行い、餓狼の如く闖入して来た。
そしてピストル、銃剣を突きつけて、第一に現金を強奪し、
眼鏡や時計、指輪をはじめ、身に着けたものは着物まで剥ぎ取った。
入り代り立代り入って来る国民軍兵士。
それに勢を得た群衆まで交って、
手に手に領事館内の畳から便器、
床板に至るまで一品残らず持ち去った。
かくて領事館内は阿鼻叫喚の巷と化し、
居留民は数家族ずつ一塊りとなって何等の抵抗もせず、
婦女子をかばいつつ身を全うするにつとめた。

国民軍の闖入と同時に(陛下の)御真影は、金庫の中に奉安したが、
これを警護申上げていた木村警察署長は
第一番に右腕に貫通銃創を負い、
さらに右横腹を突かれた。
病気で臥床中の森岡領事は、
二回にわたって狙撃されたが幸いに命中しなかった。
また根本駐在武官は銃の台尻で腰をしたたか打たれた上、
左横腹をつかれ二階から地上に墜落して人事不省に陥った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

新聞記事にある根本駐在武官は、
このとき乱入したシナ人集団に素手で立ち向かい、
乱闘の中で眼鏡を奪い取られ、
目が見えないままの状態で二階から飛び降りたところを、
国民党軍の兵士に腹と足を刺されて重傷を負っています。

さらに日本領事館に侵入した支那人たちは、
銃を突きつけて身体検査を行い、
「金を出さねば皆殺にする」と威嚇し、
金品を強奪し、あろうことか領事夫人を強姦しています。
当時、南京城内に居住していた日本人は約500人だったのですが、
その家屋は軒並み襲撃を受けました。
そして約200名が生死不詳となっている。
被害を受けたのは日本人だけではありません。
このとき英、米、仏その他の外国人全部が惨澹たる被害を受けたのです。

英国領事館では、チャイルズ領事が足に重傷を負い、
領事館職員4名が射殺され、
多数の負傷者を出し、
米国は金陵大学長が射殺され、数名が負傷しています。
このことは日本だけでなく諸外国で報道された事実です。

注)「ねずきちのひとりごと」より転載
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1452.html

------------------------------------------------------------------------------------------------------------

第三次南京事件  昭和12(1937)年

次に起こったのが、第三次南京事件です。
第二次南京事件からちょうど10年後の出来事です。
そしてこの第三次南京事件のあとに
起こったとねつ造されているのが、
いわゆる「南京大虐殺」です。
第三次南京事件には前段があります。
それが第二次上海事件です。

第二次上海事件
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-780.html
概要をかいつまんで申し上げると、
まずこの年の7月7日に、盧溝橋事件が起こっています。
事件の詳細については、以前の記事にあります。

盧溝橋事件
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-710.html
当時の支那は、清国政府が倒れて、
いまのソマリアのような無政府状態になっていたのです。
しかも欧米列強の駐留に対し、
一方には露骨な外国人排斥運動があり、
諸国は治安維持と自国民の保護のために
支那に駐留軍を国際協調で置いていたのです。

そうした中で、露骨な日本への挑発行為として
起こったのが盧溝橋事件で、
この事件のあと近衛内閣は
支那の華北地区への派兵を決定しています。
ただしこの派兵は、すでに支那に駐屯していた兵力の移動だけで、
内地からの派兵は行っていません。
つまりこの派兵は、あくまで戦闘の不拡大を目的とした
支那への既存の派遣軍の移動にすぎないものだったのです。

ところが日本のこうした戦闘の不拡大方針を
「甘い」と見て取った蒋介石は、
すかさず北京で日本兵が乗っていたトラックを爆破し、
日本人4人を殺害する。
それでも戦闘不拡大を唱える日本の近衛内閣を
さらに「甘い」と見て取った蒋介石は、
「日本の出方次第では徹底抗戦する」とオダをあげています。
これは非常に政治的な言い回しです。
日本が戦闘行為を行わないと宣言したから、
日本と戦うぞと宣言しているのです。
国際社会で「舐められる」というのは、こういうことを指します。

さて、昭和12年の日本は、
なんとか支那との和平の道を探ろうと
外交上の努力をしようとするのだけれど、
盧溝橋事件のわずか12日後には、
再び盧溝橋で今度は日本軍に対して一斉射撃をしてくる。

さらに7月25日には、郎坊駅で国民党軍が、少数の日本兵を襲撃する。
7月26日には、国民党軍の「依頼を受けて」
広安門居留民保護に駆けつけた日本兵が、
広安門で国民党兵に襲撃されるという広安門事件が起きています。

この事件などひどいもので、支那側の市当局とちゃんと交渉して、
居留民保護のために日本兵が26台のトラックに分乗して、
現場に向かったのです。
城砦都市の門が閉められていたので、城砦側の国民党と交渉し、
ちゃんと了解を得て、門を開けてもらい、トラックを中に進ませた。
すると、半分強のトラックが城門をくぐったところで、突然、城門が閉ざされた。
城門をくぐるトラックというのは、
門の外で終結し、一台ずつ城門から城内にはいります。
城内に入ったトラックは、後続車を待つために、門の内側に集結している。

つまり、塀の高い城門の、
中と外に日本兵の乗ったトラックが分断された状態で集結している。
そういう情況で、突然城門が閉ざされ、城門の上やら、塀の上から、
不意打ちに国民党軍が手榴弾や機関銃で猛射を浴びせてきたのです。

この事件で、日本側は兵士15名が死亡し、
他に民間人の通訳、新聞記者など4名、合計19名が命をおとしています。
そしてさらに3日後の7月29日に起こったのが「通州事件」です。

通州事件
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1025.html

この事件では、北京にほど近い通州で、支那軍が三千名の大軍で、
過半数が婦女子だった日本人居留民420名を突然襲い、
約230名を虐殺しました。
これにより通州特務機関は全滅し、女性は子供から老婆まで全員強姦され、
裸体のまま膣部にほうきを刺すなどして殺害され、
腹から腸を出されて殺害されている者、
針金で鼻輪を通された子供、両手を合わせて針金を通されて結ばれ、
10本の指を全部切断されている子供など、
あまりにも酸鼻極まりない姿で嬲り殺しに遭っています。

ここまで日本を挑発すれば、
日本はついに支那大陸に攻め込んでくるに違いない。
これを待ち受け、徹底して日本を叩こうとする蒋介石は、
ドイツから豊富な最新式兵器の供給を受け、
上海に部隊を集結させたのです。

本来、当時の上海は、昭和7年の多国間上海事変停戦協定によって、
国際的に「非武装地帯」に指定されていたのです。
ところがドイツ軍によって指導された蒋介石軍は、
日本軍を上海に上陸させ、ここで大殲滅作戦を展開しようと、
上海の港から市街に至るエリアに、
なんと2万カ所もの重武装したトーチカを築き、日本を待ち受けた。

そして8月19日午前10時半、上海商務館付近にいた国民党軍が、
突然日本軍陣地に機関銃射撃を行って来たのです。
このとき、上海にいた日本軍は、海軍陸戦隊の4千名です。
これを包囲して機関銃を撃ち込んで来た蒋介石軍は、
なんと5万の兵力です。

機関銃をめくら撃ちに撃ちまくる国民党軍に対し、
それでも日本の海軍陸戦隊は応戦していません。
戦闘状態になることを防ごうとしたのです。
ですから支那軍の爆撃機が超低空飛行で、
日本の陸戦隊を挑発したときも、日本側は対空砲火をしていない。

そんな日本軍の姿を見て、蒋介石軍は、
午後4時54分には、市内各所の橋を爆破してしまいます。
日本軍の戦車などの援軍が来れなくなるようにし、
日本海軍陸戦隊を孤立させるためです。
そして日本の海軍陸戦隊4千名を包囲し、猛烈な砲撃を開始してきた。

このままでは、日本側は全滅してしまいます。
やむなく午後5時、大川内上海特別陸戦隊司令官は、
陸戦隊全軍に、戦闘配置を命令した。
けれど支那軍は最新鋭の重装備の5万の兵力、
包囲された日本の海軍陸戦隊はわずか4千の兵力です。
戦力差はあきらかで、このままでは、
4千の兵士全員が死んでしまうのは時間の問題です。

そこで8月22日、日本は、
ここまできてようやく松井石根大将率いる上海派遣軍三個師団を、
上海北部沿岸に上陸させます。
けれど上陸した上海派遣軍が
海軍陸戦隊が立てこもる上海租界地まで到達するには、
支那軍が構築した2万個のトーチカ群を突破しなければなりません。
しかも支那軍の兵員は、中央軍の精鋭14~15師であり、
トーチカはドイツ参謀部が詳細に検討して構築した、
網の目状に張り巡らされた火点です。

それだけではありません。
支那軍は、追加兵力を次々と投入し、
ついにその数、60万の大軍に膨れ上がります。
松井石根大将は、その中でおよそ2ヶ月半果敢に戦い、
死者2,528名、負傷者9806名というたいへんな損害を被りながら、
ついに支那軍を蹴散らします。
そしてなんと11月9日までに、
支那軍60万の兵力のうち20万人以上を倒し、
支那軍をほぼ壊滅させてしまう。
そして11日までに、上海から支那軍を全員追い払ってしまいます。

ところがこのときひと悶着が起こる。
支那軍は、退却の際に上海市内で
徹底した掠奪、破壊、強姦をしぬいているのです。
支那軍は、撤退する際には、掠奪や強盗・強姦を行うのが常態です。
あるフランス将兵によると、
彼は支那の住民側も掠奪されるばかりではなく、
数で勝る住民側が国民党兵士たちを袋叩きにして
殺害する光景を何回も見たと記録にあります。

また、支那の敗残兵によって、
上海のフランス租界の重要機関が放火され、
避難民に紛れた敗残兵や便衣兵らと、
フランス人の警官隊が銃撃戦を行ったという記録もある。
要するにこれは事実なのです。

そして国民党兵士たちが去った後、
上海の「英字新聞」には、次のような記事が載りました。
「国民党軍の撤退によって、
上海に居住する数百万の非戦闘員(市民)の危険が非常に小さくなった。
我々は日本軍に感謝すべきである。」

こうして上海の治安は回復されました。
そして上海を追われた蒋介石以下の支那軍の兵士たちが、
次に向かったのが「南京」だったのです。
支那軍(支那軍最強の訓練され最新式装備を施された正規軍)
の兵士たちは、南京に向かって落ちのびる途中、
民家を襲っては、略奪、殺戮、強姦をほしいままにしています。

11月25日の湖州での出来事を書いた記事があります。
湖州は、上海から南京に向かう途中の小さな都市です。
以下に引用します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
湖州は浙江省の首都、呉興県政府の所在地。
城壁をはいると家屋は焼けて一面の焼け野原となり、
殆ど瓦礫の巷と化していた。
とくに商店街は影も形もなく、
処々に多数の支那兵の死骸が生々しい姿で倒れ転がっていた。
誠に見るも無残な有様であった。

街には人影がみられない。それでもどこからか若い女が3人でてきた。
我々の姿を見ると、彼女らは我々を
ぽつんと残った唯一の焼け残りの小屋へ招きいれ、
いち早くズボンを脱ぐと、進んで下半身を丸出しにした。
助けてくれと一心にわれわれを拝んだ。
我々は3名で巡察の途中で思いかけぬ出来事に遭遇してしまった。

一人は娘、残る二人は人妻らしい体つきだった。
自分達は彼女らをそっとして置いてやった。
それでも恐怖に怯え、彼女ら3人はおののいて、
脱いだ紺色のズボンを容易に身につけようとしなかった。
体を提供しても生命さえ助けてもらえれば、
これに越したことはないと観念していたかに見えた。

また、ある民家では中年の女性が寝てうめいており、
下半身を露出して指さして示し、何かわからぬ言葉を喋っていた。
支那兵は逃亡の際、この女性に迫り、
拒絶されると腹を立て、
銃剣を一突きにそこに突き刺したに違いなかった。
夥しい出血で苦しんで訴えている。
すぐに治安維持会(既に結成されていた中国人の自治組織)に
連絡して看護員を連れてきた。
さて助かったかどうか。

このようにして略奪と暴行のあとを見せつけられた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まことにもって痛ましい限りです。
上海に集結した国民党軍は、約60万の兵力でした。
そのうち20万が、我が軍に敗れて死傷し、
残りの40万の兵力が南京方面に向かって逃走したのです。
逃走した国民党軍のうち10万は、途中の街に隠れ、
追撃する日本軍と応戦し、5万が死傷し、5万が逃散しています。
そうして南京には、30万の国民党軍がなだれ込んだのです。
武力を持たない南京市は、
この敗残兵を城内に招き入れるしかなかった。
国民党の正規軍なのです。よもや非道はするまいと考えた。

その甘さが悲劇を招きます。
南京城内に入り込んだ国民党軍は、
そこにいる市民の誰もが
「漢奸(日本びいきの人々を彼らはそう呼んだ)」に見えた。
そして南京市民を虐殺し出したのです。
当時の南京市民たちは、そういう国民党軍を恐れ、
多くが南京市から逃げ出します。
そして逃遅れた者たちは、国民党兵士に捕まり、
ある者は虐殺され、ある者は城外のトーチカに縛り付けられ、
またある者は強姦され、家屋には侵入して財物を片端から強奪され、
挙げ句、市民の住むエリア全部に火をつけられ一切合切を燃やされた。

そういうところに、12月4日、
上海にいた松井岩根大将率いる
帝国陸軍中支那方面軍12万が到着したのです。
到着した日本軍は、使者を送り、
国民党南京守備隊に降伏勧告を行いました。
けれどなんの反応もないので、やむなく松井大将は、
9日の正午に、南京城内に飛行機で和平開城勧告文のビラをまいています。
そして10日の午後一時まで、投降を待った。
けれど、城内からは、何の回答も反応もなかったのです。

南京城を囲んだのが12月4日です。
そしてこの日が10日です。もう6日も待っている。
その間、南京城の城外では、一部の国民党兵士からの発砲もあったし、
便衣兵(民間服を着て、民間人を装った
支那兵士)による執拗な攻撃も受けています。
けれど松井大将は待った。
つまり松井大将は、6日間もの間、南京城に立て篭もる国民党に対し、
和平と降伏の呼びかけを続けたのです。
戦場において、これほどの相手に対する誠意はありません。
そこまでして、それでもなんの反応もないから、
やむなくこの日の午後から、日本軍は総攻撃を開始したのです。

日本国内では、松井大将が4日に南京を囲んでいるのだから、
もうとっくに南京城は陥落したものだろうと、
なんと11日には、全国的な南京陥落の祝賀行事などが行われています。
けれどその日は、現場ではまだ南京城外で、
激しい攻防戦が行われている最中でした。

そして13日、南京城は陥落し、日本軍が南京城内に入城しました。
入城した日本軍は、
兵を城内の左右いっぱいに横一列に並べ、城内を前進します。
城内の敵の掃討のためです。
この「城内を横一列で」という部分には注意が必要です。
本来なら城内には民家が建ち並び、横一列での行進は無理なのです。
けれどそのときの南京城内は、
民家がすべて焼き払われ、焼土と化した状態にありました。
だからこそ、日本軍は、横一列による前進ができたのです。

こうして東西と南から城内に入った日本軍に対し、
国民党軍の兵士たちは南京城の北側の下関と呼ばれる門から、
いっせいに逃げ出そうとします。
そこは南京城が揚子江と接しているところで、
川を渡って逃げ延びようとしたのです。

ところが川に浮かんでいた筈の船は、
総大将の蒋介石や、南京城の防衛司令官だった唐生智らが、
戦いの最中にそくさくと逃げ出した際、
後ろから日本軍が船で追いかけて来たら困るからと、
そこそこの大きさの船は、みんな底に穴をあけて沈めてしまっていた。
つまり、下関には小舟しか残っていなかったのです。
そこに国民党の兵士たちが逃げようとして押し寄せた。
船に乗れずに、舷側に捕まろうとする者、多人数が舷側につかまったら、
船が沈んでしまうからと、そのつかまる仲間の手を切り落とす者、
すさまじい地獄絵図がそこで描かれています。

一方、日本軍は、13日から15日までの3日間、
城内掃討(ほとんど戦いらしい戦いはない)を実施し、
城内の平穏を確保したあと、
17日に陸海軍合同で南京城入城式典を行います。
当日は南京の避難民たちにも、
お菓子や煙草が支給され、町中が笑顔と万歳の声にあふれた。
さらに18日には、両軍の死者を弔うため、
合同慰霊祭を行い、敵味方の区別なく、慰霊を捧げています。
そしてその翌日には、上海派遣軍の各部隊は、
部隊毎にそれぞれ他の戦闘地域への移動を開始しています。

また日本軍の入城によって治安が回復した南京城には、
もともとそこに住んでいて
城外に避難していた避難民たちが続々と帰って来ています。
そうして帰還した支那人たちに対し、
日本軍は無償で医療を施し、
食事を与え、子供達にはお菓子まで配っている。
南京城に、笑顔が戻ったのです。

この昭和12(1937)年の南京事件において、
日本軍による南京大虐殺が行われたと主張する者たちは、
12月13日の日本軍の南京入城直後から、
約6週間にわたって日本軍が無辜の市民30万人を
大量虐殺したと主張しています。
けれど攻城戦が行われる前の時点で南京にいた市民の数は20万人。
戦闘開始前に、市民の多くは城外に避難し、
日本軍の入城後に城内に帰って来ています。
そして近隣の都市からも安全と安心を求めて避難民が集まり、
南京の人口は25万人に膨れ上がった。
どこでどうやったら、
そこで30万人の虐殺が行われたことになるのか、さっぱりわかりません。
要するに南京虐殺など、「なかった」のです。

「南京大虐殺は自分たちがやった」と孫に告白した国民党少尉(2012年1/27) 
https://www.youtube.com/watch?v=662ZcLwwfqY

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------

第四次南京事件  昭和24(1949)年

昭和12年の日本軍の南京城入城によって治安が回復した南京市では、
日本軍に勤務する若い女性が、
ひとりでショッピングのために市場に出かけても、
まったく安全で、豊かな経済生活が行われる普通の街に戻ります。
当時南京にいた方々のお話を聞くと、
戦時中、内地(日本国内)では、食事が制限され、
国民はひもじい生活を余儀なくされていたと聞いているが、
自分たちは食べ物も豊かで、
明るく安心な南京生活を楽しむことができて、
なんだか申し訳ない気がする、などとおっしゃいます。

けれどそうした治安の保たれた南京市も、
大東亜戦争の終戦によって様相が一変します。
そして起こったのが、第四次南京事件です。
昭和20(1945)年8月15日、
日本は大東亜戦争における戦闘行為を終結させました。
これに先だつ8月14日、蒋介石率いる国民党は、
中ソ友好同盟条約を締結しています。
要するに日本と対立するために、ソ連と同盟関係を結んだわけです。

この頃の蒋介石軍は、米英から軍事物資等の豊富な援助を得ていました。
米英にとって、人種の平等、民族の自立を主張する日本は、
白人種が有色人種を支配し収奪する植民地主義を維持するにあたり、
ひらたくいえば「邪魔な存在」だったのです。
だから同じく有色人種である支那人の蒋介石に
武器弾薬、食料、資金を与え、双方を疲弊させる戦略を採っています。

おかげで蒋介石率いる国民党は、連合国の一員であり、
戦後は戦勝国として高い地位を与えられ、
東京裁判においても判事を出す国となっています。
ところがこの当時において、支那が蒋介石率いる国民党軍によって
成立する「国家」であったかというと、実はそんなことはない。
当時の支那には、南京に汪兆銘を首班とする南京政府があり、
支那奥地には毛沢東率いる支那共産党があり、
三者がそれぞれ、我こそは正当な支那の国家政権であると
それぞれに主張していたのです。

そして戦争が終わった。
米英が蒋介石に支援物資を与えていたのは、
あくまで日本と戦うためです。
当然、日本が戦争を終わらせれば、蒋介石は用済みで、
終戦とともに蒋介石のもとには米英からの援助物資が途絶えてしまう。
数十万の兵を養わなければならない蒋介石にとって、
兵を養うカネがないというのは、まさに党の死活問題です。

一方、終戦直前に満州に攻め込んだソ連は、
終戦にともなって日本軍の武装解除によって
日本軍から得た銃器や弾薬が大量に余ってしまった。
その銃器弾薬を、ソ連は
毛沢東率いる支那共産党軍にまるごと引き渡します。
すでに補給を失った蒋介石軍、突然豊富な補給物資を得た毛沢東軍、
両者はあちこちで戦い、毛沢東側が圧勝します。
蒋介石は追われ、ついに南京に向かって逃げ出した。

南京には、戦時中、汪兆銘率いる南京政府がありました。
この南京政府は、親日政権で、おかげで南京は戦時中、
ずっと豊かで平穏な社会を維持することができた。
要するに、蒋介石にとって、
豊かな南京に行けば、
失った米英からの援助に代わる富を得ることができる。
こうして蒋介石は再び南京に攻め込みます。
そして南京市民から再び収奪を行った。

さらに前年の昭和19年に亡くなっていた汪兆銘の墓をあばき、
遺体を焼き、さらに彼の一族50余名を逮捕し、
虐殺すると、その遺体をゴミとして廃棄した。
また親日的だった支那人たちを次々と殺害し、婦女を暴行しています。
そして資産家の家に乱入し、
戦時徴発と称して、金品をさかんに巻き上げた。

けれど、南京市民にとって、
まだ汪兆銘憎しと目先の利益を追求した国民党軍はまだマシだったのです。
事件はその後に起こった。
国民党軍の乱入によって南京の街は荒れ、市民が疲弊しているところに、
今度はその国民党軍を追った支那共産党軍がやってきたのです。
この時点でろくな武器を持たない国民党軍は、
共産党軍がやってくると算を乱して逃げ出します。
その後に、共産党軍が城内に乱入する。

乱入した共産党軍にとって、南京市民の全部が敵です。
彼らは市民を、国民党に協力したとして次々と殺害し、
通州同様に南京市民を虐殺し、収奪し、婦女子を強姦し、殺戮した。
なにせ共産主義者たちにとって、
普通の経済生活を行う市民はブルジョアです。
そしてブルジョアから富を奪い、
それを共産主義者たちに分配することが、彼らにとっての正義なのです。
そして奪うものは財物だけではない。
人としての尊厳や貞操、生きる権利の全てが否定の対象だった。

この第四次南京事件における死傷者の数は、
10万人とも15万人ともいわれています。
南京市民の3人にひとりが殺害されたのです。
いまだに日本には、共産主義は平和主義であり、
中共政府は平和を希求する政府であると
本気で思い込んでいる日本人がいます。
けれど、戦後67年、この間に中共が起こした戦争行為は、
主なものだけでも19回に及びます。
そこで彼らが虐殺した人の数は、いったい何千万人に及ぶのでしょうか。

日本が大東亜戦争で失った将兵の数、
あるいは広島、長崎に落とされた原爆で、
あるいは空襲や艦砲射撃で失った人命の数十倍ではきかない人の殺害を、
彼らはいまも続けているのです。
南京事件だの虐殺だのという議論になったら、みなさまにお願いがあります。
それを言う方に対して
「どの南京虐殺事件のことなの?」と質問していただきたいのです。

そうして事実をきちんと調べ上げれば、
日本軍による南京大虐殺など起こりようがなかったし、
実際には同じ支那人による南京に住む支那人への
虐殺、暴行、陵辱、収奪、強姦、殺戮の歴史が
おのずとあきらかになってくるからです。


◆「ねずきちのひとりごと」より転載】(四度あった南京事件)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1452.html
第二次上海事件 (1937(昭和12)年)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-780.html
盧溝橋事件 (1937(昭和12)年,7/7)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-710.html
通州事件 (1937(昭和12)年,7/29)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1025.html
"「南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉"
というタイトルでYou TubeにUPすると、
中国共産党に5分ぐらいで削除されました。
だから
「太平洋戦争は自分たちがやった」と告白した日本兵少尉
【歴史の真実】
「南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉

中国共産党によって削除!>

南京大虐殺の真実

外祖父が自分の目で見た南〇大〇殺
https://www.youtube.com/watch?v=hy7179mvClA

(削除される前にコピーして拡散希望)

2012年1月27日、開国少将というペンネームの作者が
ネット(http://www.kdnet.net)に
「外祖父が目撃した南京大虐殺」という歴史評論を投稿しましたが、
中国共産党によって速、削除されました。
その記事の内容は次の通りです。

私は子供の頃、外祖父が抗日戦争から
なぜ逃げ出したのか分かりませんでした。
逃げた理由は秘密であり、
外祖父が亡くなる前の年によく話すようになりました。
外祖父は妻が早く亡くなったことを理由にしていましたが、
それが逃げた真の理由ではなかったでしょう。
ある日、私は外祖父から真実を聞き出しました。

彼は四川省の貧しい農家の出身で、
幼少期から武術で鍛えられていました。
1928年、四川で国民党に捕まり、兵士にされました。
1937年の南京大虐殺の前夜には少尉に任命され、
日本軍の猛攻撃から首都を守り、
国父を守るというスローガンのもとに防衛するよう命じられました。
しかし、日本軍の進撃を止めることはできず、南京城から撤退しました。

部隊はいくつかの列車を手配し、軍用品や食料を積み込みました。
その際、一般の民衆が老人や子供を連れて列車に乗り込んできました。
多くの人々が列車の屋根にも乗っていました。
日本軍が近づいてきました。
このままでは国民党の兵士たちは逃げることができません。
誰かが日本軍が来たと叫び、
国民党の指揮官は列車から降りろと民衆に怒鳴りました。
しかし、誰も従わず、指揮官は民衆を銃殺するよう命令しました。
兵士たちは民衆を銃殺することができず、互いを見つめ合いました。

指揮官は兵士たちに、すぐに日本軍が来るのだから、
民衆が日本軍に銃殺されたことにしようと言い、一斉射撃を命じました。
周囲は血の海となり、兵士たちの足首まで血が溜まったと言います。
約1,000人の南京市民が国民党の兵士たちから銃弾を浴び、
亡くなっていきました。
国民党の部隊が必死に逃げた後、
血の海に死体の山が残され、それが日本軍の残虐行為とされました

外祖父はそのような部隊に残りたくなかったため、
撤退途中で九江で夜の闇に紛れて脱走し、
長江を渡り武漢で列車を乗り換え、南の小さな山村に逃げ込みました。
外祖父の記憶によれば、他の部隊も同様の行動を取ったとのことです。
国民党による民衆への大虐殺は、
日本軍の残虐行為として転嫁されたのです。

外祖父は貧しい農家の出身ですが、
国民党が貧しい人々を虐げることに抵抗がありました。
外祖父はもし国民党の軍隊に残っていれば、
出世できたかもしれません。
また、抗日戦争で戦死していれば、
抗日戦闘英雄として称えられたかもしれません。
しかし、彼は逃亡を選びました。
そして、裏切り者という悪名を着せられ、
経歴を隠して逃げまわりました。

この過去の真実を外祖父は死ぬ前に初めて語ったのです。
南京大虐殺は彼自身の犯した罪です。
外祖父は恥じ入っていたでしょう。

私は反日・反米の青年であり、
頻繁にネット上で論評を発表していました。
しかし、そのような単純な反日・反米の青年たちは
ただ利用されているだけです。
天国にいる外祖父よ、私を許してください。

(備考)

「南京事件は4度あった」小名木善行先生の内容は、
第一次南京事件(1913年,大正2)
第二次南京事件(1927年,昭2)
第三次南京事件(1937年,昭12)
第四次南京事件(1949年,昭24)
これが実際の歴史です。


これは南京事件の真相を晩年に
孫に告白したものである。
第三次南京事件(1937年)では、
日本軍が南京攻略前に空から
「無血開城を求める」ビラを撒きました。
しかし、蔣介石の国民党軍が
逃げるために船や列車を使った際に、
南京市民が邪魔になり、
一斉射撃による虐殺が行われました。
虐殺は実際には国民党軍によるものでしたが、
日本軍が行ったとされました。
この事実は、2012年1月27日に
国民党の少尉によって告白されました。
彼は20歳の少尉だった当時、戦後66年が経過し、
94歳の晩年になって孫に告白したのです。
そのため、日本軍が南京に入城した時点で、
揚子江は既に死体と血で染まっていました。
国民党軍は逃げた先々で
「南京で日本軍による大虐殺があった」とデマを広めました。
このデマが南京大虐殺の始まりである。

(削除される前にコピーして拡散希望)
(参考:http://unisoni.iinaa.net/senkaku3.htm#sinjitu)



陥落直前の南京の様子
日本軍が南京に入る前から
市内には多数の死体があった
実は日本軍が南京に入る前から
市内には多数の死体が存在していた。
十一月二十九日の様子を、
ドイツのリリー・アベック記者はこう記している。

「もはやどこに行っても、
規律の解体と無秩序が支配していた。
南京駅に二千人の負傷者を乗せた汽車が到着したが、
誰も見向きもしなかった。
看護兵も付き添っていなかった。
負傷兵たちは二日間も放置された後、
その二日間に死んだ者と一緒に降ろされ、
駅のホームに並べられた。
死骸が空気を汚染し、悪臭を放った」

十二月七日、中国軍は南京周辺を徹底的に焼き払い、
焼け出された市民が難民となって城内に流入、
商品流通が麻痺し食料難が加速、
一部では暴動が起こった。
中国軍は治安維持のため少しでも怪しいものは
手当たり次第に銃殺した。
十日頃には完全な無政府状能心に陥り、
統制を失った中国兵たちによる掠奪が横行した。
在南京アメリカ大使館のエスピー副領事は、
陥落直前の南京の様子を
漢口のアメリカ大使館にこう報告している。

「日本軍入城前の最後の数日間には、
疑いもなく彼ら自身の手によって
市民と財産に村する侵犯が行われたのであった。
気も狂わんばかりになった中国兵が
軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、
事件をたくさん起こし、
市民の服欲しさに、殺人まで行った」
南京にはたくさんの死体があった。
それも平服の死体があった。
(再審「南京大虐殺」竹本・大原)
やっぱり南京大虐殺はなかった
アパホテルの南京大虐殺論争
やっぱり大虐殺はなかった2017.01.24
1937年、中国・北京の住民が日本軍を歓迎する様子。
アパホテルの本をきっかけに、
「南京大虐殺」が取り沙汰されている。

南京大虐殺とは、中国兵の仕業である
http://unisoni.iinaa.net/senkaku3.htm#tyugokuhei

当時、蒋介石は約300回の外国人記者との会見で、
虐殺に触れていない。
南京大虐殺は冤罪。
日本は「なかった」と訴え続けるべき。
いわゆる「南京大虐殺」を否定する本が、
アパホテルの客室に置いてあるとして、
中国外務省がこのほど批判の声を上げた。
一民間企業を名指しで批判するのは異例。
ホテルを運営するアパグループは、
本の撤去に応じない方針を示している。

東京裁判で嘘が「あった」とされた
きっかけは、
東京都内のホテルに宿泊した2人の学生が、
15日に中国のSNS「微博(ウェイボー)」に
アップした動画。
中国人ユーザーを中心に批判の嵐が巻き起こり、
同省の動きはその流れを受けた形となった。

南京大虐殺は、
日中戦争(支那事変)を戦う日本軍が1937年12月、
蒋介石率いる中華民国の首都・南京で待ち構える
国民党軍を攻めたことを発端として、
次第に喧伝されるようになった。
日本の敗戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)で、
日本軍が犯した罪の一つとして取り上げられ、
一方的に断罪された。

断罪されたのは、南京戦を指揮した松井石根大将。
松井大将は裁判で、
「(虐殺は)公的な報告を受けたことがなく、
終戦後、
米軍の放送で初めて知った」などと証言したものの、
公平を欠く審理によって処刑された。

南京大虐殺は存在しない

現在、中国大陸を支配している中国共産党は、
「共産党が日本と戦って勝利した」
ということを大陸統治の正当性の根拠としている。
もちろん、当時弱小だった共産党軍は逃げ回っており、
実際にはほとんど日本軍と戦っていない。
そして何よりも、
多くの歴史家や従軍した日本兵が語ってきたように、
日本軍が虐殺を行った事実はない。

その裏付けとして、これまで本誌で紹介してきた、
識者たちの指摘を紹介したい。

歴史に精通する上智大学名誉教授の渡部昇一氏は、
こう語っている。

「被害者であるはずの中国国民党の蒋介石が、
約300回にわたる外国人記者団との会見で
一度も大虐殺に触れませんでした」
「当時の日本軍の規律の高さは、
世界トップレベルでした。
日本軍は南京以外にも、
北京や青島、漢口、広東などの
都市を攻略しましたが、
そこで虐殺など起きていない。
日本には、
無差別に人を殺す『虐殺の思想』などないのです」
(「ザ・リバティ」2014年9月号)

また、近現代史研究家の水間政憲氏も、
次のように述べて虐殺を否定している。

「南京攻略戦総司令官の松井石根大将は、
国際法の権威である斎藤良衛博士を帯同させて、
博士の意見を参考に『南京城攻略要領』を作成。
外国権益や住民が避難した安全区、
文化遺産などがある場所を地図に朱書し、
最前線の小隊にも配布するなど、
軍規を徹底的に守らせようとしました。

南京戦に参加した軍人から聞いた話ですが、
ある兵士があまりにも寒かったので、
誰もいない民家にあった
綿の服をとって着ていたようです。
すると、馬に乗った連隊長がそばを通りかかり、
服について詰問しました。その兵士は罪を認め、
懲罰房の重営倉に送られました」
(「ザ・リバティ」2015年3月号)

松井大将の霊「中国を尊敬していた」
さらに、南京戦の真相を探るため、
大川隆法・幸福の科学総裁は2014年9月、
松井大将の霊を呼び、話しを聞いた。

松井大将の霊は、こう語っている。

「私は、いったん大将になったあと、予備役になり、
その後、
もう一回、引っ張り出されて現地に赴きましたが、
そのときは、もう還暦ですのでねえ。

つまり、もう十分に、世間のいろいろなことについては
熟知している年齢ですし、
血の気に走って、
残虐行為をするような年齢ではございませんし、
私は、『儒学』の勉強も、
青少年期にやっておりましたので、
中国に対しては、
文化的には尊敬していた面もございます。

だから、その『儒教の国』の国民を、
自らの手で殺めたいという気持ちを
持っていたわけではありません」
(『南京大虐殺と従軍慰安婦は本当か』より抜粋)。

アイリス・チャンや東條元首相も
松井大将は生前、中国建国の父である孫文が唱えた
「日中提携」の実現に命を懸けていた人物。
それほど中国を愛していた。

大川総裁は、松井大将のほかにも、
著書『ザ・レイプ・オブ・南京』で大虐殺という嘘を
世界に広めた中国系アメリカ人のアイリス・チャンや、
A級戦犯の東條英機元首相らの霊言も行っており、
歴史の真実を追求している。

南京大虐殺はある意味で、痴漢冤罪のようなもの。
日本軍は確かに南京にいたが、
虐殺を行った事実はない。
日本の冤罪を晴らすには、
正しい歴史を訴え続ける忍耐力が要るが、
それでもやり遂げなければ、
靖国神社に眠る英霊は浮かばれない。
(山本慧)
南京大虐殺とは、中国兵の仕業である」(コピーして拡散希望)
http://unisoni.iinaa.net/senkaku3.htm#tyugokuhei
中国人による四度あった南京事件
https://blog.goo.ne.jp/kirakiraboshi31/e/91119c4364b488bd13d9cfd5122fd84d
“南京虐殺30万人” ⇒ 精神病院へ (1/2)
“南京虐殺30万人”証拠足りない」解職教師の味方をして
精神病院
に閉じ込められた中国女性教師
2021/12/24(金)(中央日報日本語版)

 中国の地方にある小学校女性教師が
妊娠した状態で強制的に精神病院
監禁されたとし、緊急救助を要請した。
湖南省湘西永順県の桃子渓小学校で
教師をしている李田田さんは、
自分が精神病院送りになった理由が「南京大虐殺」に関連して
中国当局の立場と相反する発言をしたためだと訴えている。

23日、香港明報によると、
問題の発言は上海の専門大学である
震旦学院の宋庚一教師事件に関連して出てきた。
宋さんは今月初めの授業で、
南京大虐殺の「30万人死亡」は数字の証拠が不足している
との発言で今月16日に解職された。
授業を聞いていた学生が授業を動画で撮影し、
教育当局に告発したからだ。
だが、宋さんの解職直後に公開された授業映像全体を見ると、
告発した学生が悪意をもって編集した事実が明らかになったと、
フランスの自由アジア放送は伝えた。

李さんは17日にこの事件について微博で指摘した。
李さんは「同僚教師として、
宋庚一教師の授業内容には問題がなく、
問題は彼女の学生と彼女を解職させた学校、
官営メディアの報道、沈黙する知識分子にある」とし
「宋教師の前後発言を見れば
教壇での発言には扇動や挑発が全くなく、
南京大虐殺の暴行を抹殺していない」と話した。
中国SNSでは李さんに対する声援が続いたが、
少なくない掲示物が削除された。
李さんは先週末、微博に再びコメントを書き込み、
「永順県教育体育局と公安局、議員関係者がやってきて脅す」とし、
精神に問題があるという理由で、
病院に行って注射を打って治療受け取ることを
要求したと暴露した。
李さんは「私にはもう退路がない。
もしも本当に死ぬことになるなら、
一つの死体から二つの生命が消えること」
としながら妊娠の事実を公開した。
「南京事件」発言の教師を擁護した女性、
精神病院へ送られる。(2021/2/2)
本人はSOSを求めていたとの情報も
中国 2021/12/24(金) (ハフポスト日本版)

日中戦争の最中、1937年に起きた「南京事件」をめぐり、
犠牲者が30万人に及んだとされる中国側の見解に
疑問を呈した専門学校の教師が除籍処分となった騒動で、
SNS上でこの教師を庇う発言をした
女性・李田田さんが精神病院に入院させられた。
中国メディアは「うつ病のため」などとしている一方で、
本人は入院を拒否していたとの情報もある。

< 事件のあらまし>
この騒動は、ネットに投稿されたある動画がきっかけだ。
12月14日、上海にある専門学校「震旦学院」で、
女性教師が「南京事件」をめぐり、
犠牲者が30万人に上るという
中国側の見解について
「データはない」などと疑問を呈した。
この様子を捉えた動画が拡散され、
2日後の16日、この教師は除籍処分とされた。
南京事件の犠牲者数をめぐっては、
日本側と中国側で主張が異なる。

日本の外務省は
「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと
考えています。
しかしながら、被害者の具体的な
人数については諸説あり、
政府としてどれが正しい数かを
認定することは困難」
という見方を示している。

中国のネット空間では女性教師への批判が相次いだが、
擁護する側に立ったのが李田田さんだった。
李さんはSNS・ウェイボーで「問題があるのは
学生、除籍処分とした学校、
官製メディア、そして沈黙する知識分子だ」と主張した。

< 助けを求めていたか>
その後、李田田さんは精神病院に入院させられた。
12月23日までに中国メディアが明らかにしている。
しかし、中国メディアでは「長期にわたるうつ病の症状があり、
このところ病状が悪化しているから」
だとする家族の声を伝え、強制的なものではないとしている。
一方で、アメリカ政府系の「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」によると、
李さんは入院を迫られていたようだ。
RFAは、李さんのものだとするSNS上の投稿を掲載している。
それによると、地元の公安当局の担当者などが李さんの家を訪れ
「精神に問題があるため病院で治療を受けなさい」と要求したという。
李さんは拒否したが「ならば逮捕する」などと脅されたとしている。
李さんは投稿の最後で「社会に助けを求めたい。
もし私が死んでしまえば、
二つの命が失われる」と綴っており、妊娠している可能性がある。

< 精神病院、過去にも>
中国では、過去にも反政府的な言動をした人が
精神病院に送られたことがある。
2018年7月、上海で習近平国家主席の写真に墨汁をかけた
董瑤瓊(ドン・ヤオチョン)さんがその一例だ。
董さんは2020年1月に退院したが、
顔はむくみ「お父さん」という言葉しか発せない状態だった。
同年12月にはTwitterに本人とみられる動画がアップされ、
政府の監視下にあると説明。
「もうこんな生活は嫌です。死んだほうがましです。
常に監視されているのはもう耐えられない」などと訴えていた。

勇気ある日本人へ
南京大虐殺とは、中国兵の仕業である」!
http://unisoni.iinaa.net/senkaku3.htm#tyugokuhei
この事実を日本の外務省にぜひ教えてやって欲しい!
中国人による四度あった南京事件
https://blog.goo.ne.jp/kirakiraboshi31/e/91119c4364b488bd13d9cfd5122fd84d

中国では「南京事件の犠牲者が30万人という数字は
どこから出てきたのか?」
と疑問を持つと、会社は首になります。
又は、精神病院へ行くか刑務所に行くか
警察官に選択を迫られる恐ろしい国です。
4南京事件(1949年)も天安門事件(1989年6/4)も、
死者数は勿論、たった一人の氏名すらわからない。
これこそ、中国が自国民を虐殺した証拠
つまり、中国共産党を批判する人は許さないのである。
あれこれ理由を付けて、刑務所に送り、その内に抹殺する恐ろしい国です。
【拡散希望】通州事件を忘れるな(2)
https://nezu3344.com/blog-entry-1025.html
【拡散希望】四度あった南京事件
https://nezu3344.com/blog-entry-1452.html
「南京大虐殺人数」を疑問視した中国教師、即解雇される
密告文化!南京事件がまた話題に;中共の党文化は日本社会にも侵食
「南京大虐殺」の死亡者数に疑問を呈した上海の教員が解雇【禁聞】
【新聞看點‭】南京事件に疑念呈した教師 なぜ解雇されたのか
南京大虐殺に疑問を呈した中国人教師の勇気。竹田恒泰中国共産党によって削除!>
「ねずきちのひとりごと」(四度あった南京事件)
第二次上海事件 (1937(昭和12)年)
盧溝橋事件 (1937(昭和12)年,7/7)
通州事件 (1937(昭和12)年,7/29)
台湾二二八事件 (1947(昭和22)年,2/28)
天 安 門 事 件
天安門事件の写真中国共産党によって削除!>
天安門事件25年~中国最大のタブー"大虐殺"の真相~
NHKは真実の天安門事件を報道せよ!中国共産党によって削除!>
3分でわかるNHKクローズアプ現代「天安門事件での虐殺は無かった
中 国 共 産 党
チベット人僧侶の焼身自殺の抗議を報道せよ!
中国共産党によって削除!>
恩を仇で返す中国人中国共産党によって削除!>
7分で判る中華人民共和国の歴史 中国共産党によって削除!>
中国人が知らない中国の歴史
韓国と中国の歴史は捏造!日本教育の自虐史観にはもう騙されない!
中国共産党によって削除!>
中国に侵略されるという事はこういうことです
中国共産党によって削除!>
【中国共産党の拷問】モンゴル編中国共産党によって削除!>
国民が最低限知るべき中国の実態「東トルキスタンからの手紙」
中国に抗議デモ 在日ベトナム人の魂
中国共産党によって削除!>
中国海軍の犯罪の証拠 :チュオンサ諸島における惨殺
東シナ海「海底ガス田」明確な【合意違反】平気で嘘を言う中国
中国共産党によって削除!>
「34万人が逮捕、3万人が殺害」
中国政府に蹂躙される内モンゴル自治区の悲惨な現実
中国に因る戦後の周辺諸国への侵略と占領
ハワイを堺に太平洋の「東西分割管理」を中国が米へ提案
中国【ハワイ領有権も主張出来る】米国務長官 協議の一幕明かす
中国共産党によって削除!>
シナ(中国)が必死に削除する映像!中華人民共和国の真実
中国共産党によって削除!>
【中国禁聞】沸き上がる民衆の恨み 元旦から抗議事件頻発
【禁聞】中国汚職官僚の最大の悩み
本当のことを言おう、
中国人は愛国心さえも日本人にはかなわない―中国メディア

中国共産党によって削除!>
永山英樹氏講演①台湾問題から見た中国の膨張
検証なくプロパガンダに使う「中国」…歴史歪曲する“異形の国”に
中国共産党によって削除!>
<遠藤誉が斬る>自国民への虐殺は忘れていいのか?
中国共産党によって削除!>
中国が「自滅」を避けられぬワケ 自らの虚言を自覚できない
中国共産党によって削除!>
アメリカ機密文書が語る中国共産党「侵略のDNA」
中国共産党によって削除!>
侵略国家の恐ろしすぎる戦略とは
中国共産党によって削除!>
中国は日本に「謝罪迫る資格」なし・莫大なODAを忘れたか?
ドイツもイタリアも侵略の謝罪はせず

中国共産党によって削除された可能性大!>
中国で人が消えていく、
日本人も台湾の人たちも
【コメントライナー】
ウイグル・ジェノサイド
ウイグル人女性、虐待の実態を証言
ウイグル人元収容女性、性的暴行や虐待の実態を証言
  2021.4.2 17:30 
中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区で
約9カ月間、拘束されたウイグル人女性が
産経新聞のオンライン取材に応じ、
収容所で性的暴行や拷問が
組織的に行われていたと証言した。
収容所内では「動物以下」と罵(ののし)られ、
人権を主張すると「射殺する」と
脅されたと語っており、
深刻な人権侵害の実態が浮き彫りになった。
(ロンドン 板東和正)

 女性はウイグル族の元看護師、
トゥルスナイ・ズヤウドゥンさん(42)。
ズヤウドゥンさんは英BBC放送による2月の報道で
性的暴行や拷問について自らの経験を話し、
この問題が世界で広く知られる契機となった。
 ズヤウドゥンさんは2018年3月から
同年12月まで同自治区の収容所で過ごした。
3月9日に自治区の自宅にいたところ、
警察から「あなたを再教育施設に入れる」と
連絡があった。
警察署に出向くと、理由を説明されずに拘束され、
車で収容所に連行された。

繰り返される暴行

 ズヤウドゥンさんが収容所の建物に入ると
「服を脱げ」と言われ、
青色の「制服」を着るよう命じられた。
身に着けていた耳飾りを警察官に乱暴に取られ、
耳から血が流れた。
 監視カメラ2台が設置された全長4メートル、
幅3メートルほどの居住房に押し込められた。
一緒に入った20~70代の女性約20人は
恐怖で涙を流していた。
 居住房にはトイレがなく、1日1回、3分間だけ
房外のトイレに入ることが許された。
しかし、3分より長く入った女性が
警棒で殴られる光景を見たことから、
ズヤウドゥンさんらは居住房の
バケツで用を足していた。
排泄(はいせつ)物が居住房に放置されていることに
ズヤウドゥンさんが抗議すると、
警察官は「お前らは動物以下だ」と言い放った。
「中国政府はわれわれに『(ウイグル人を)
もっとひどく扱え』と指示している。
お前らを射殺しても何も文句は言われない」
と怒鳴った。
 尋問での暴力にも苦しんだ。
尋問は3日間続くこともあり
「お前は米国のスパイか」
などの質問が延々と続いた。
尋問中は飲食や睡眠が一切許されず、
ズヤウドゥンさんが思わず「(尋問を続けるなら)
私を殺してくれ」と叫ぶと、殴り倒された。
ブーツで胸や腹を踏まれ、意識を失った。
 別の日には、
監視カメラのない薄暗い部屋に突然連れて行かれ、
顔に黒いマスクをかけた数人の男に強姦された。
さらに、電気棒のようなものを体内に入れられ、
「体が内側からえぐられるような衝撃を受け、
何回も気絶した」という。
そういった性的暴行を計3回受けた。
 収容された当初は3食の食事が提供されたが、
7~8月ごろから2食になった。
薄いスープやおかゆのようなものしか出されず、
空腹に苦しんだ。
ある日、空腹で立てなくなったズヤウドゥンさんに
看守がカビの生えたパンを持ってきたが、
別の女性収容者がそれを奪い取ってしまった。
 それでも、ズヤウドゥンさんはこう振り返る。
 「当時、飢えることは深刻な問題ではなかった。
飢えよりも、恐ろしい虐待があったから。
空腹で死んでいいとさえ思った」

収容者をランク分け

 収容所では「早朝から、中国共産党をたたえる歌を
斉唱させられた」と明かす。
イスラム教の習慣を捨てることを求められ、
中国語などを学ぶ授業への出席を強要された。
授業では、中国政府の幹部の名前を暗記させられ、
「習近平国家主席を信じろ」とたたき込まれた。 
 中国の象徴である龍が地球を飲み込む様子を
捉えた絵を収容所の壁に
描かされる収容者もいた。
ズヤウドゥンさんは「収容所では、
中国が世界をコントロール下に置くと
繰り返し聞かされた」と打ち明ける。
 ズヤウドゥンさんらが収容所の方針に従い続けたのは、
反抗すればさらにひどい扱いを受けるという
「ルール」があったためだ。
 収容者は「一般管理」「厳格管理」「強化管理」の
3つのグループに分けられていた。
グループによって、
「制服」の色や管理の厳しさが異なった。
 強化管理は最も厳しく、
ズヤウドゥンさんが所属した一般管理は
収容者の中では規則が最も緩いとされていた。
一般管理の収容者は居住房にいるときは
手錠と足かせを免除されたが、
強化管理の者は24時間、
つけなければならなかった。
 中国当局はビッグデータを活用して、
ウイグル族の個人情報を収集。
信仰や家族関係などを評価し、
収容時に3つのグループに分ける。
その後も、
収容者がどれだけ従順に従うかを監視し、
各グループに再び振り分ける仕組みという。
 ズヤウドゥンさんには常に「強化管理」への
恐怖がつきまとっていた。
収容所内の病院で、
片足の5本の指を全て切られた
「強化管理」の男性収容者を
見たことがあるためだ。
 自治区の問題を研究する日本ウイグル連盟の
トゥール・ムハメット会長は
「中国当局は従わなければ
より恐ろしい境遇に陥れるルールを作り、
恐怖におびえる収容者を洗脳している」と分析する。

子孫を絶つ

 ズヤウドゥンさんは収容所で
「謎の注射や薬」にも苦しめられた。
 3~4日間に1回、「栄養剤」と説明された
薬の服用を迫られた。
薬を飲んだ後は、意識がもうろうとした。
「感染症予防」と言われ、吐き気やしびれを
引き起こす注射も約15日間の間隔で打たれた。
 収容中、体に異変が起きた。
全身に虫がはいずり回っているような
感覚になる症状が現れ、夜は寝られなかった。
収容されてから約2カ月で
ズヤウドゥンさんの生理が止まった。
 ズヤウドゥンさんは、収容所の多くの女性が
不妊手術を強要されている実態も知った。
収容中に生殖器の機能を壊す手術を
施された男性もいたという。
「ウイグル族が子孫を残せないようにするのが、
中国の目的だ」と断言する。
 ズヤウドゥンさんは18年12月、釈放された。
その後、カザフスタンに逃れ、
20年に米国に渡った。
現在は米ワシントンに住み、亡命を申請している。
 収容所を出てからも健康状態は悪化し、
ワシントンに着いた直後に
子宮摘出手術を受けた。
ズヤウドゥンさんは
「もう子供ができないという悲しみがあったが、
身体に残った(性的暴行などの)悪夢が
子宮とともに取り除かれたことで
精神的に楽になった」と話す。

国際社会に向けて

 ズヤウドゥンさんが収容所での
性的暴行や拷問を明かした
英BBC放送の報道を受け、
同自治区への調査団の受け入れを
中国に求める声が高まった。
 ズヤウドゥンさんは、
国連監視団による同自治区の調査に
「大賛成だ」とした上で、
中国は収容所を別の施設に
変えるなどして「人権侵害の証拠を
隠滅している」と懸念を示す。
被害を突き止めるために
現地の状況に詳しい人間が必要だとし、
「われわれのような(収容所で被害に遭った)
ウイグル人を
調査に連れていってほしい」と訴えた。
 同自治区での人権侵害をめぐり、
中国が欧米の制裁に
対抗して発表した報復制裁について
「相手を脅してコントロール下に置くのは、
中国の常套(じょうとう)手段だ」と指摘。
「欧米などは中国に強い姿勢で
対応しなければならない」とした。
 中国外務省の
汪文斌(おう・ぶんひん)報道官は2月、
収容所に「女性への組織的な性的暴行や虐待は
全く存在しない」とBBCの報道内容を否定した。
ズヤウドゥンさんは自身の発言を
「真実だ」と強調した。
ウイグル弾圧「教師」にされた女性の苦悩
【ロンドン=板東和正】中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区の
収容所で2018年春までの約5カ月間、
収容者に中国語を教えることを強いられたカザフ族の女性が
産経新聞のオンライン取材に応じた。
収容所では中国共産党への忠誠をたたき込む授業が連日行われたほか、
イスラム教の礼拝日を祝った収容者が性的暴行を受けたとも証言。
「再教育」を名目にした人権侵害の実態が浮き彫りになった。
女性はサイラグリ・サウトバイさん(44)。
現在はスウェーデンで亡命生活を送っている。
2016年から自治区イリ・カザフ自治州で
幼稚園の運営責任者を務めていたが、
17年11月に警察に呼び出されると、理由を説明されずに拘束された。
黒い袋をかぶせられ、同州の収容所に車で連れて行かれた。
収容所では中国人民解放軍のものと似た迷彩服を着るよう命じられ、
警察官に「お前は再教育施設で中国語の教師になるんだ」と言われた。
「再教育施設での情報を漏らしたら死刑にする」
「(他の収容者との)接触や私的な会話を禁じる」
など中国語で書かれた誓約書に署名させられたという。
収容所には中国語ができない少数民族の
ウイグル族やカザフ族らが収容されていた。
サイラグリさんは自身がウイグル語やカザフ語のほか、
中国語も堪能だったことから「収容者に円滑に中国語を
教えるために教師に選ばれた」と推察する。
「忠誠」教え、従順さを評価
収容所の約2メートル四方の居住房に1人で入れられ、
他の中国語の教師と接触できなかった。
毎朝午前6時に起床し、7時~11時まで教室で
男女の収容者約60人に中国語を教えた。
「生徒」の収容者は番号で呼ばれ、手錠や足かせをつけて授業を受けた。
サイラグリさんは「苦しい表情を浮かべて弱った収容者と直面し、
ショックを受けた」と振り返る。
午前11時からは約1時間、
中国共産党への忠誠を教える授業を行うことを命じられた。
「習近平国家主席万歳」などの中国語のスローガンが
書かれた紙を頭に乗せ、「生徒」とともに叫び続ける内容だった。
警察官2人が授業を常に監視し、
「生徒」がどれだけ大きな声で数多く叫んだかを評価。
授業中の従順さに応じて点数をつけ、
「生徒」を管理の厳しさが異なる3つのグループに振り分けていたという。
信仰捨てたか試され
収容者がイスラム教の信仰を捨てたかどうかが
試される出来事もあった。
18年1月のことだ。
20代の女性収容者が100人以上の収容者の前で
「金曜日の礼拝日を祝うメッセージを
収容される前に携帯電話で友人に送った」と告白させられた。
直後、複数の警察官はその女性に性的暴行を加えた。
その様子を見て怒りの表情を浮かべたり、
直視しなかったりした収容者らは信仰を捨てていないと判断され、
警察官に暴力を振るわれたという。
その場にいたサイラグリさんは目を伏せずに見るしかなかった。
女性収容者への性的暴行は横行していたともいい、
サイラグリさんは「中国当局は(収容所の)警察官に
性的暴行を自由に加えられる権利を与えていた」との見方を示した。
収容所には警察官らが収容者を拷問する「黒い部屋」と
呼ばれる約20平方メートルの部屋があった。
監視カメラはなく、薄暗い室内に拷問器具が並べられていた。
信仰があつく、警察官らに従わない収容者らは黒い部屋に連れて行かれ、
爪を全部はぎとられるなどされていた。
全身血だらけで出てきた収容者もいたという。
サイラグリさんも一度、他の収容者との接触などを
禁じる誓約書に違反したとを疑われ、
黒い部屋で棒で殴られるなどして、気を失ったことがある。
18年3月に釈放され、自治区に隣接するカザフスタンに逃れた後、
国連の助けを得て、夫と子供とともに19年6月にスウェーデンに渡った。
スウェーデンに入国後、英BBC放送などで収容所での経験を告白。
サイラグリさんは「ウイグル族やカザフ族が
中国に弾圧されている真実を世界に向けて告白するため、
自治区から逃れてきた」と訴えている。
一方、中国外務省の趙立堅(ちょう・りつけん)報道官は昨年3月に、
サイラグリさんについて「嘘をでっち上げた」と非難している。
ウイグル族へ拷問証言 習氏 中台統一に自信
Tiktokに少女の勇気ある投稿「中国がウイグル弾圧」(19/11/28)
【中国警察 弾圧の魔手】『来日ウイグル人女性の悲劇』
ウイグル人女性、再教育の「洗脳」体験を語る
中国共産党によって削除!>
ウイグル人元収容女性、性的暴行や虐待の実態を証言
国民が最低限知るべき中国の実態「東トルキスタンからの手紙」
チベット―中国による史上最悪の人権侵害
ウイグル虐殺の真実と日本
内モンゴル自治区で何が起こっているのか?
中国共産党によって削除!>
民族大虐殺の実態をウイグル女性が告白/カンニング竹山
駐英中国大使、BBC番組でウイグル人の強制収容否定
沖  縄
『ヌルいぞ!! 沖縄人! 目覚めよ! 沖縄県民!』 H24/07
中国共産党によって削除!>
中国による沖縄侵略 沖縄県知事は、帰化人だった。
沖縄から基地が無くなれば、中国軍に占領される / 武田 邦彦
沖縄から米軍基地が無くなったらどうなるか
中国共産党によって削除!>
政府との対立緊迫する中なぜ… 翁長沖縄県知事の訪中を危惧
中国共産党によって削除!>
「九条信者を前線に送り出せ」百田尚樹氏「放言」の真意は
白でもクロと書いてきた「琉球新報」「沖縄タイムス」
中国人の沖縄米軍用地取得 日中関係悪化で不気味な意味持つ
「中国には言わず、米には主張する」石垣市長が沖縄知事批判
青山繁晴さんが暴露するマスコミが報道しない翁長知事の
中国共産党によって削除!>
原発処理水海洋放出について
原発処理水海洋放出で中韓とマスコミがバカ騒ぎ!
科学的根拠全くなし!理科を勉強し直して下さい

原発処理水の海洋放出について

①スマホでYahoo!又はGoogleを立上 ②"ユニソン錬成塾"で検索,HP立上
③左メニュ-上26番 "原発処理水海洋放出"↓


木村真三氏(愛媛新聞,2021,6,28,令3)によれば、
東京電力福島第一原発の海洋放出が注目との事です。
トリチウムは3重水素の同位体で、水素原子が1つの陽子から成ります。
トリチウムは陽子に2つの中性子が結合しているため、
その質量は通常の水素よりも3倍重くなります。
したがって、トリチウムを含んだ水はわずかに重くなりますが、
ごく微量です。自然界の水には0.02%未満しか含まれていません。
トリチウムは自然界でも広く存在し、
水道水にも微量含まれているため、安全に飲用できます。
処理水は海洋に放出される前に、トリチウムの濃度が国の基準の1/40まで希釈されます。
つまり、WHO(世界保健機関)が示す飲料水基準の約7分の1の水準まで
薄められてから海に排出されます。
このような処理は世界中の原子力発電所で行われています。

日本は、380兆ベクレルのトリチウムを水で
22兆ベクレルまで希釈して排出します。
一方で、韓国は136兆ベクレル(日本の約6.5倍の濃度)、
中国は42兆~143兆ベクレル(日本の約1.9~6.5倍の濃度)、
浙江省・泰山143兆ベクレル(日本の約6.5倍の濃度)、
広東省・陽江112兆ベクレル(日本の約5.1倍の濃度)、
福建省・寧徳102兆ベクレル(日本の約4.6倍の濃度)、
遼寧省・紅沿河90兆ベクレル(日本の約4.1倍の濃度)、
カナダは495兆ベクレル(日本の約22.5倍の濃度)、
英国は1624兆ベクレル(日本の約73.8倍の濃度)を排出しており、
フランスは1京3778兆ベクレル(626.2倍の濃度)を排出しています。
同様に、米国もトリチウムを排出しています。


日本政府の海洋放出方針に対して、中国や韓国は
「周辺国や国際機関の同意を得ずに排出すべきではない」と
非難しています(2021,7,4,令3,愛媛新聞)。
しかしながら、中国や韓国も日本よりも2倍以上濃いトリチウムを
黙って海洋放出しています。
日本のメディアが福島第一原発の問題ばかりを報道することは疑問です。
そのために、韓国、台湾、中国、マカオ、米国などが
福島の魚介類の輸入に規制を設けています。
もし汚染された魚介類が流通しているのであれば、
日本の排出濃度が600倍も高いフランスで、問題になっているはずです。
報道機関は世界各国の処理水の問題についても報道すべきです。

例えば、福島の場合、炉心融解によって汚染された冷却水は「汚染水」と表現されますが、
中国や韓国では正常運転の冷却水は「処理水」と呼ばれることがあります。
最初に放出される水は、トリチウム以外の汚染物質が分離処理されており、
「汚染水」ではなく、「処理水」という表現にしないといけないでしょう。
なぜなら「汚染水」という表現を用いると、「福島の魚介類は食べれません。」という
風評被害が広がる可能性があります。
日本のメディアが福島の漁業者の状況を考慮していないという事です。

橋本一彦原子力報道室担当部長は、
「トリチウムの濃度を基準値以下にして放出すれば安全」という意見に対して、
「事故を起こした原発やデブリ(溶け落ちた核燃料)に触れた水を流すことは前代未聞だ」
述べています(2021,7,6,令3,愛媛新聞)。
しかしこの意見は、科学的な根拠に乏しく、原発反対派の意見です。
驚くべきことに、中国共産党やロシアの外交官も全く同様の主張をしました(2023年8月)。

3重水(T2O)は通常の水分子の酸素原子に重水素(トリチウム)が結合したものです。
トリチウムは放射性同位体であり、非常に不安定です。
しかし、普通の水分子とほぼ同じように振る舞いますので、
摂取後はほとんど直ちに体外に排出されます。
また、水銀(Hg)のような重金属ではないので、
体内に蓄積される事もありません。

私は、このような原子力や理科の知識のない人が、
原子力報道室担当部長になっている事がおかしいと思います。
韓国や中国での塩の買い占め騒動についての報道もありました。
これは韓国や中国、ロシアの理科教育に問題がある可能性があると思っています。
また、原子力報道室担当部長は科学的な物の考えが出来ない
文系の人物でないかと思われます。

やはり、報道室には原子力のわかる理系の専門家がいなければ、
正確な情報を国内外に伝えることは難しいと思います。




水と重水の分離について 中国原発6.5倍


(2023/6/23(金),読売新聞)
木村真三氏の新型コロナの政策  (R3/6/28 愛媛新聞)
木村真三氏の恩師である医学統計学者は
新型コロナの政策について、
日本の失政を次のように指摘しています。

(1)新型コロナ感染者が出始めた
昨年4月時点でワクチンの重要性を認証し、
日本の製薬会社や大学、研究所などに総力を挙げて
ワクチンを製造するよう強力に指示すべきだった。

(2)同月時点でワクチンの早急な治験と承認を
法改正してでもすべきだった。

(3)コロナ対応経済チームをつくり、
どこでどれだけ感染が広がる危険性があるかデータを作り、
それに基づいてきめ細かに休業要請の
範囲と補償を決めるべきだった。

(4)コロナの死者・重症者をださないことが重要で、
重症者用大規模センターを各都道府県に設置し、
大規模な予算を投入して重症者収容、回復を図る。

(5)緊急事態宣言の影響に関するデータ収集チームをつくり、
そのデータを用いて国民に政策を説明する。


以上の5点は確かにその通りだと思います。
ただ上記の(1)と(4)について、私の意見を書いてみます。

まず(1)ワクチンを製造する件
残念ながら日本ではその様な
基礎研究を今までやって来ませんでした。
何故ならば、ウイルスとかワクチンの研究は
生物兵器に繋がるので、
日本学術会議(左翼)によって禁止されているからです。
最初から開発するには最低4~5年は
かかるそうです。

また憲法9条の為に戦争に関する研究は出来ません。
また災害時に活躍している自衛隊の存在は
憲法違反であるという人も多くいます。
この際、憲法の改正を考える時期に
来ているのではないかと思います。

そういうと[戦争が出来る国になる]と
言う人々がかなり多く居ます。
現在、中国の軍事費(2520億ドル
(30年間で約42倍増加))は
日本(491億ドル)の5倍以上あります。

かつて、ウイグル、チベット、モンゴルは
平和を愛する国」でありました。
ある日突然、中国共産党軍が入ってきました。
現在は文化(言語・宗教)も資源も取られ、
奴隷のように搾取される国になってしまいました。
「戦争反対を叫ぶだけでは、ウイグル・ジェノサイドは
将来の日本で起きる可能性がある」と思います。

次に(4)の重症者収容施設の建設です
高橋洋一氏によると、昨年の春、
政府は重症者収容施設等の予算を1.5兆円組んだとの事です。
しかし、医師会は昨年の春に
一時コロナ感染者が減ったのを見て、
重症者収容施設は要らないと思ったのか、
その予算は使用しませんでした。



新規感染者数のフランスと日本のグラフの違いを見ると、
日本は10分の1以下です。
これで東京オリンピックを中止するなら、明らかに
「新型コロナの対策も立てられない、負けた日本」として
世界から笑われるのではないかと思いました。

日本では1日6千人ほどの新規感染者が最大でした。
これで医療崩壊だと、毎日のように聞いていました。
ところが、フランスではその10倍以上の1日7万人
新規感染者が出ていました。
ワクチンを打つと2000人台に激減し、
マスク不要になりました。

日本では、自粛の成果もあって、
そんなに新規感染者数が増えなかったのが
幸いしたとも言えそうです。

”マスクと3密(密閉・密集・密接)”でわかったことがあります。
例年、インフルエンザ関連で
1万人以上の方が亡くなっています。
しかし、今年は殆ど聞きません。
私も2年前はインフルエンザAとB両方にかかり、苦しみました。
今年の冬は”マスクと3密”で防げそうです。
ちなみに新型コロナ死者数は14,880人(2021/7/6)。

「命とオリンピック、どちらが大切か」で話題になりました。
私は「命とマイカー、どちらが大切か」
取り上げて欲しいです。
毎日、今治市内を循環しているバスを見ますが、
乗っているお客様を見ることはありません。
これからは、マイカーを止めて、
バスの公共機関を利用するようにすれば、
事故の犠牲者も減ると思います。
2020年の交通事故発生件数は31万件。
負傷者数は37万人。
死者数は3000人
私の兄は交通事故で即死でした。

また残念に思ったことがあります。
それは、コロナ患者を受け入れない病院があるという事です。
尾身医師会長自治医科大学病院や旭川医科大学病院も
受け入れないと聞いております。
消防士が危険だと思ったから
消火作業をしなかった」としたらどうでしょうか。


特に勤務医などは、体を張っての医療活動には、
本当に頭の下がる思いです。
感謝の言葉以外ありません。
コロナ患者を受け入れ無かった病院の
6割は赤字との事ですが、
コロナ患者を受け入れた病院8割は赤字との事です。

尾身医師会長は、国民に自粛を呼びかけるだけではなくて、
これらコロナ患者を受け入れた病院の
赤字を補填するように政府に働きかけて欲しい。
また医療崩壊を防ぐために重症者収容施設を、
各都道府県に設置する活動を
してもらいたいと思いました。(1864字)

そ の 他
いつかの靖国論争なぜか削除!>
堂々と発信できる人材育てよなぜか削除!>
反日日本人・発生の経路と原因 / 武田 邦彦なぜか削除!>
【保存版】 武田邦彦さんが解説する
「反日日本人について」 / 武田邦彦
なぜか削除!>
武田邦彦:【日本の核武装...前編】ガリレオ放談 第43回
いつまで続ける対中国ODA
日本に行くのでアドバイス下さい!なぜか削除!>
中国の若者よ、目を覚ませ!日本の援助なしに
中国の繁栄はありえなかった
なぜか削除!>
中国人観光客 日本を体験すれば自国の主張の誤りに気付くなぜか削除!>
私が恨むべき日本はいったいどこに?なぜか削除!>
知り合ったばかりの日本人のサプライズに思わず涙なぜか削除!>
日本人が説明した日中戦争の経緯に「何も言えなくなった」なぜか削除!>
「『謝謝』は日本語で何て言うの?」=
反日だった祖母を変えた日本旅行
なぜか削除!>
左派勢力への素朴な疑問 日本の平和を望むなら、 <なぜか削除!>
中国をアテにするな! 国際問題になると・・・
「邪魔するか、ケツまくるかだ」=オーストラリア高官
なぜか削除!>
日中韓は不毛な「歴史修正競争」に歯止めなぜか削除!>
「安保攻防」的外れな議論を続けた野党は、今こそ自省せよ!~
戦争法案・徴兵制・対米従属どれもミスリードだった
なぜか削除!>
鳥越俊太郎氏「日本にどこの国が攻めるんですか、
そんなの虚構です」
なぜか削除!>
実名で告発!中国の極超音速兵器開発に手を貸す日本の大学は〇〇大学だ!
中国の先生への質問

中国の先生への質問

(1)中国政府が1950年に「尖閣諸島は琉球に含まれる」
いう認識を示す外交文書があることをご存知でしょうか?
ただし、この文書は現在非公開です。
なぜなら、中国政府の主張と矛盾しているからです。

中国では高校の数学の授業で背理法
(証明したい結論を否定して矛盾を導く方法)を教えていますか?
背理法によると、矛盾が生じたということは、
これまで一貫して中国政府が主張してきた「尖閣諸島は台湾の一部」と
いう考えが間違っていたことが証明されたということです。

私が疑問に思うのは、日本人なら
高校生でも理解できるようなことが、
中国の14億人の中で最高レベルの外交官である超エリートが、
「それでも尖閣は昔から中国の領土である」と主張し続けることです。
彼らが背理法を理解していないのかどうかがわかりません。
物事を科学的に考えることが本当にできるのでしょうか。

また、中国の秀才とされる人々は、
どのような思考経路で物事を考えているのでしょうか。
自然科学分野でのノーベル賞受賞者は、
日本人だけでも22人
(日本ゆかりの人を含むと24人)います(2016年時点)。
ちなみに、日本は21世紀以降、自然科学部門でアメリカに続いて
世界第2位の受賞者数を誇っています。
中国には人口比で見ると250人以上の
受賞者がいてもおかしくないと思いますが、
なぜたった一人しか(しかも2015年に)出ていないのでしょうか?
私は中国の教育が背理法さえ教えない限り、
これ以上は永遠に受賞者が出ないと考えています。
背理法さえ理解できない人は、
「科学的な考え方」ができないと思っているからです。
科学者は自然に関する「ある問題」を徐々に掘り下げるために、
「科学的な考え方」が必要不可欠だと私は考えています。
このような中国人と話し合っても、
彼らが科学的な視点や考え方を理解していないため、
話が噛み合わないと予想されます。
つまり、議論ができない状況です。
そのため、中国人と共同研究を行っても、
より深い科学的知識を得ることは難しいと思われます。
どう思われますか?反論してください。

(2)あなたは、1885年から日本政府が尖閣諸島がどこの国にも属さず、
しかも人が住んでいない国際法上の
「無主の地」であることを調査し始め、
詳細な調査の結果、
1895年に正式に日本領としたことをご存知でしょうか。

(3)魚釣島付近で遭難した31人の中国漁民を救助したこともあり、
1920年には中華民国駐長崎領事から感謝状が贈られ、
「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記され、
尖閣諸島を日本領土として認めていることをご存知でしょうか。

(4)あなたは1953年の中国共産党機関紙「人民日報」が
尖閣諸島を含む日本の沖縄県に所属する島々と
して記載していたことをご存知でしょうか。

(5)あなたは同じ1953年に作製された中国の地図には
台湾や福建省に尖閣諸島が含まれていなかったことをご存知でしょうか。

(6)あなたは1950年から60年代の中国の地図には
すべてが『尖閣諸島』と記述され、
日本の領土とされていたことをご存知でしょうか。

(7)あなたは明代の『石泉山房文集』において、尖閣諸島の大正島について、
明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、
郭汝霖が皇帝に提出した上奏文に
「琉球」と明記されていることをご存知でしょうか。

(8)中国政府によれば「尖閣は昔から
台湾の一部だった」と主張していますが、
中国の地理書『大清一統志』には台湾府の北限は「鶏籠城」までであり、
尖閣諸島は台湾の領土に含まれていないことをご存知でしょうか。

(9)中国政府が尖閣諸島の領有を主張している古文書に、
「清の時代に光緒帝が皇太后の病気を治すために
民が尖閣諸島の近海で採った薬草を使い、
後に島をその民に与えた」という内容が記載されていますが、
あなたはこの古文書が尖閣が
中国の領土である理由になると思いますか。

(10)中国政府は明代の初め、
釣魚島が中国の版図に含まれると主張していますが、
あなたはその版図を実際に見たことがありますか?

(11) 中国政府は「尖閣は、明代から中国の領土である」と
主張していますが、
その主張の根拠が見つかっていないことをご存知ですか?
また、1895年に日本政府が正式に日本領とした際、
中国がなぜ反対しなかったのか知りたいです。

(12) 台湾の李元総統は、中国の主張を
「美人を見て自分の妻だと言っているかのようだ」と
述べていますが、これについてどう考えますか?

(13) 日本、韓国、沖縄はかつて中国に朝貢していましたが、
現在でも中国の属国であり中国の領土だという認識があるのでしょうか?

(14) そちらの生徒は、「尖閣が中国の領土である」と
考えている根拠を教えてもらえると助かります。

(15) あなたは「中国共産党の言うことは絶対に正しい」と信じていますか?
1989年の天安門事件では、中国共産党の国防部部長は
「天安門広場では流血事件は一切なかった」と発言しましたが、
実際には多数の死傷者が報告されています。
中国共産党の行動について疑問を持つことは適切だと思いませんか?

(16) 毛沢東は「革命無罪」という言葉で全てを正当化したのでしょうか?
彼の統治下で数千万人以上が犠牲になったと言われていますが、
これは本当でしょうか?
また、「愛国無罪」という言葉が最近よく聞かれますが、
共産党は自身の利益のために嘘をつくことや暴力行為を
正当化する教育
を行っているのでしょうか?

(17) あなたは嘘も1000回唱えれば、真実になると本当に信じていますか?

(18) 日本にいる中国の公務員が「尖閣が日本領である証拠を
富士山の高さまで積み上げても意味はなく、
力のある国の領土になる。」と
発言していますが、これは日本に対する宣戦布告と捉えるべきでしょうか?
核保有国の恫喝に対して国際社会は核軍縮の運動を展開すべきです。
また、日本も核保有を真剣に検討する時期に来ているかもしれません。

(19) 中国政府が主張する「尖閣は、明代から中国の領土である」と
いう考えが正しいと思うのであれば、
なぜ国際司法裁判所に訴えないのでしょうか?

以上の質問に、一つでもいいから、答えていただければとてもありがたく思います。
とにかく、「尖閣は、中国の領土である」と
いう考えがどこから出てくるのか、
何を根拠にして自信を持って、世界に向かって主張できるのか、
私には全く理解できません。納得する理由が知りたいと思います。

最後にあなたは,中国共産党が現在、
チベット自治区や、新疆ウイグル自治区や、
内モンゴル自治区
何をしているのかご存知でしょうか?


◇中国による戦後の周辺諸国への侵略と占領等
1949年 東トルキスタン侵略
占領(ウイグル大虐殺)、民族浄化継続中
1950年 大躍進、文化大革命3000万人大虐殺
1950年 朝鮮戦争参戦
1951年 チベット侵略、占領(チベット大虐殺)、
民族浄化継続中
1959年 インド侵略(中印戦争)アクサイチン地方を占領
1969年 珍宝島領有権問題でソ連と武力衝突
1973年 中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射
1974年 ベトナム、パラセル諸島(西沙諸島)を
軍事侵略、占領
1976年 カンボジア、クメール・ルージュによる
大虐殺を強力支援
1979年 ベトナム侵略(中越戦争)、
中国が懲罰戦争と表明
1988年 スプラトリー諸島(南沙諸島)を軍事侵略
占領
1989年 天安門事件
1992年 南沙諸島と西沙諸島の全てが中国領土と宣言
1995年 フィリピンのミスチーフ環礁を軍事侵略、占領
1996年 台湾総統選挙恫喝、台湾沖にミサイル攻撃
1997年 フィリピンのスカーボロ環礁の領有を宣言
1997年 日本の尖閣諸島の領有を宣言
2000年 中国の軍艦が日本列島を一周
2005年 反分裂国家法を制定し
台湾に対して武力行使を明言
2005年 台湾問題に介入するなら核攻撃を行うと
アメリカを恫喝
2005年 沖縄は歴史的に中国のものと主張
2007年 チベット暴動制圧
2008年 韓国の離於島の領有を宣言
2008年 日本の尖閣諸島領域の管轄を強化する。
実行支配が重要と表明”
私が、右翼?
先日、大学時代の友人がガンになりその[励ます会」に
行った時です。
尖閣は日本領土だ」。
すると、「おまえ何時から右翼になったんだ。」
という言葉が返ってきました。
思うと学生時代はこの仲間とよくベトナム戦争反対の
デモに参加していた
左翼であったのを思い出した。
しかし、わたしは毎日のように聞く、中国監視船の
ここは中国固有の領土です、直ちに出て行きなさい
の言葉に憤りを覚えるのです。
中国が尖閣を領有していた史料は
どこにもないからです。
 昔は日本は、中国の政治・文化・漢字等全て
において学びました。
孔子・孟子
(ただし毛沢東は6500万人以上を
粛清、虐殺、餓死させた。
文化大革命では、紅衛兵は毛語録を手に、
「造反有理(反逆には道理がある)」と叫んで、
校長や教師を殴り殺したり、自殺に追い込んだ。
死者は1000万人、被害者は1億人に及ぶとされる。
(26/1/15読売))

みんな立派な人物です。
日本人のお手本でした。
近くで昔の遺物が出たというので
見に行ったことがありましたが、
中国と日本の茶碗の違いを見て
当時の文化レベルの差をまざまざと
見せつけられました。
 それが今はどうでしょう。
尖閣に石油が出るとわかると急に欲しくなり、
「デパートで大声でおもちゃを欲しがる子供と同じ」に
なってしまいました。
「明の時から尖閣は中国だ」と
40年前から13億人の同胞を騙してきたから、
世界も騙せると思ったのでしょう。
世界第2位の経済大国が韓国の領土の盗み方を
まねる
のもおかしいでしょう。
国連では、
札束をつかんで嘘も千回大声でわめき続ければ、
真実になるだろうと、思っているのです。
今や、嘘つき国家だと言われるように
なってしまいました。
南モンゴル、チベット、東トルキスタン等を
見てもわかるように
世界一の侵略国家にまで成長してしまったようです。
 橋本市長には、「国家に品がない」とまで
言われています。
中国共産党暴力団になるのではなく、
周りの国から信頼される国家になるように
努力をしてください。
「私たちがかつて尊敬してやまなかったのは
貴国の優れた思想、芸術、礼節です。
強大な軍事力ではありません。
それを思い起こし、覇道でなく王道を
歩んでください」(大沼保昭)
(私は、このビラを都庁の担当者に手渡し、
都庁のビラも賛成だし、
政府にももっと強く言うように言いました
(H24.10.4)。
地元の水上警察にも手渡しました。
すると、まもなく右翼団体対応の県警の
ごつい警部が2名、
我が家にやってきました。
小泉首相の靖国参拝の時には大反対でした。
しかし、安倍首相の靖国参拝は大賛成です。
やっぱり、わたしは右翼になったのかなあ?)

(ちょっと待った!
わたしは中学時代、真面目が服を着ていると言われ、
1650人余の中から生徒会長に選ばれました。
結論が出ました。
真面目しか取り柄のなかった私が、
右翼になれるはずはないでしょう。
もし真面目の頂点が右翼なら、
他の生徒を何と呼べばいいのでしょうか。)
中国共産党の誤算
先日、中国の程永華駐日大使は 
尖閣が中国の領土と主張する理由については
(1) 釣魚島などの島嶼は中国人が最も早く発見し、
命名、利用、管轄した。
明代の初め、釣魚島とその付属の島嶼は
中国の版図
に入った
(2) 日清戦争末期に日本が釣魚島を
不法にかすめ取った。
と発言しています。
これは1971年の中国外務省の声明を基にしています。
そうです今から41年前は、これで世界を騙せるし、
尖閣も奪えると考えたわけです。
 私は、中国人学生の多い
日本語学校(東京新宿区)の校長に、
中国が尖閣を日本領土だと認めている地図
掲示板に貼ってくれませんか」と頼むと、
これの問題は微妙ですから
貼れませんと断わられました。
 確かに、周りの日本人も、
異口同音に微妙ですねと答えます。
「中国の言っている事も
ひょっとしたら真実かも知れない」
と考える日本人もかなりいるということです。
 しかし、今はインターネットの時代です。
調べてみると、明の時代、尖閣が沖縄に属していた
という史料はどんどん出てくるのに、
明や台湾に属していたという史料は
どこにもないのです(石井・下條教授)。
歴史に全く無知な私でも、
簡単に中国共産党の嘘を見破ることが出来るのです。
そうです41年後は、
こんなネット社会になることを
中国共産党は全く想像すらできなかったわけです。
 中国国内では、尖閣が昔から日本領土であった史料は
どんどん削除されています。
東京神田からは、中国の古地図が消え、
中国では古地図の国境を書き換えているという
情報もあるようです。
韓国においても「ラスク書簡」とか
「ライタイハン」と検索しても出てこないと思います。
中国や韓国は歴史を捏造するプロです。
嘘を貫き通す為に今後何百年にも渡って
都合の悪い真実を削除する役人である
「公認ネット監視員」
(現在200万人いる。
この中には「5毛党」も含まれる
(政府よりの書き込みをすると5毛(8円)もらえる
<2013/10/11読売>)
さんも大変だなあと思います。
海外に出て行く中国人も増えております。
海外で真実の情報を手にした人が
どんどん増えていけば、
中国共産党も変わっていくと思います。
そのためにも、
日本にいる中国人に尖閣の正しい情報を
伝えていかなくてはと思います。
尖閣問題で、私たち日本人が黙っていると
中国海警局の公船が
尖閣の領海にたびたび侵入しているが、
私たち日本人や日本政府が
口だけで何もしないことがわかると、
どんどんエスカレートしてきています。
つまり日本には憲法9条があり、
ロシア、中国や韓国のような普通の国とは違うので、
相手を攻撃出来ない。
そういうことが相手国にはわかっているので、
いくらでも,好きなだけ侵入できると思っている
のではないかと思っています。
ですから、私はインターネットを利用して、
世界中の人々に中国共産党とは、
力によって領土をもぎ取ろうとしている
暴力団の国家
であることを広めたいのである。
現に日本にいる中国の公務員が、
「尖閣が日本領である証拠を
富士山の高さまで積み上げても意味はなく、
力のある国の領土になる。」と言っています。

ただ私が理解に苦しむのは、
「侵入してくるのは、
沖縄に米軍基地があるからだ」

考える沖縄の人がかなりいると言うことである。
なぜかというと、
中国共産党の刺激となるからと言う」
こういう人たちは当然、
自衛隊が駐留するのも反対である。
米軍基地撤退を叫ぶ人たちは、
1992年フィリピンから米軍が撤退すると、
中国軍が一気にスプラトリー諸島を武力で占領した
事実を
知らないのではと思います。
ベトナムも1974年、西沙諸島を武力で占領されました
軍事侵攻は現在も続いています。
1947年台湾二・二八事件について
知らないのではと思います。
1989年の天安門事件では
3000人以上(ソ連報告)(5万人との情報もある)
の自国民を銃撃し戦車でひき殺しても
国民には全く伝えない恐ろしい国なのです。
その後国防部部長は、
米国に「天安門広場では1人も殺されなかった」
発言しています。
つまり、中国共産党の為なら大嘘をつこうが、
自国民を虐殺しても許される国
なのです。

尖閣諸島については、
1885年からの調査で「無主の地」
であることが判明した為、
1895年正式に日本領としました。
中国共産党も1949年から1971年まで
日本の領土だと認めていました。
1968年に尖閣沖に膨大な資源
あることが分かりました。
すると1971年から領有権を主張し始めたのです。
石油が欲しくなったのです。
そこで、私が思うには、
中国共産党はこう考えたのだと思います。
まず①沖縄から米軍基地を撤退させる。
②沖縄を独立させる。
③「琉球自治区」が誕生したと世界に宣言する
こうすれば、
沖縄と尖閣と石油資源が一気にとれます。
この後の沖縄がどうなるかは
現在のチベット自治区新疆ウイグル自治区
内モンゴル自治区を見ればわかります。
ここに至って、
初めて沖縄の人々は目が覚めるのです。
終戦直後、朝鮮人が日本人にしたこと
(犯人はルーズベルト)
「アジアで日本人は悪い事をした」と、
なんとな~くずっとすり込まれていますが、
その原因は戦後GHQの洗脳政策によってできた
反日教育の日教組(私も元日教組)
と、
当時日本人だった朝鮮人を、
終戦直後「奴隷解放だ!」
根拠のない免罪符を与えた事なんですよね。

先ほどGHQの洗脳というか、
いわゆる韓国・朝鮮問題っていうのは、
一番根源にあるのはそこだ。
先ほどGHQと言ったが、
一番最初に動き出したのはルーズベルトのカイロ会談
アメリカは『日本は侵略国家だ、残虐な国だ。
東南アジアで残虐行為を繰り返す』
とか言ってるが、
残虐さっていうのはもともとアメリカが持っていたもの。
そこの残虐さについては
シナ人と一緒になって南京大虐殺みたいなのを、
こうでっち上げていきゃいい

ただ、1つだけアメリカとしてどーしてもアメリカ人が
日本に敵わないものは奴隷。奴隷と差別。
日本では、奴隷は制度になったことが一度もない。
それがアメリカにとって非常ーにウィークポイント。
日本を倫理的に批難するにあたって物凄く弱い。
それでルーズベルトは何を言い出したか。
カイロ会談で『日本は朝鮮半島を奴隷化している。
朝鮮人を奴隷にして搾取している。』

 これまったく根拠がない
根拠はないけど、
彼がそういう発言をカイロでやった。
それからルーズベルトの記録を見ると、
繰り返しそれをやっている。
例えば、ヘレン・ミラーズの本なんか見ても、
44年の終戦の前の年の、カイロ会談の翌年の8月、
『アジア人は日本の奴隷になりたくない』とか
いう公式発言をボコボコやっている。
で、これを踏まえて、
その日本の占領統治政策が行われるのだが、
その時に日本にいる在日朝鮮人に
何を言ったかというと
『今日、奴隷解放の日だ』と。
『朝鮮人が解放された日』だと。

それを受けてマッカーサーが日本に来て、
厚木に降り立って1か月後に、
在日本朝鮮人連盟 という、
今の民団・総連の母体が
GHQの指導の下で結成された。
その結成趣旨が『朝鮮人は奴隷から解放された』
『今や我々は連合国民だ』
『戦勝国民だ』
と言い出した。
で、奴隷扱いした日本に対して、
『奴隷扱いしたのを
十分に理解させるのが我々の義務だ』

朝鮮人連盟が。
それを追認するように、
マッカーサーは日本の新聞なんかに連合国人について、
つい最近も、サンフランシスコ講和条約の後も、
米兵の犯罪について裁判権を放棄させられたっていう
密約が出てきたと各紙載って騒いでいたが、
あれと同じで、
逮捕権も裁判権も連合国の兵隊なんかには
一切、日本人は持たない。
新聞コードでもそういう連合国人を批判するのは
書いちゃいかんというのがある。
それを9月の段階で
もう既にプレスコードに要求している。
要求って言うか
まぁ日本は呑まざるを得ないんだけど。
で、その翌々月にその連合国人に対する扱いは、
朝鮮人にも与える
ってことだと。
これはもうハッキリGHQで出している。
戦勝国民扱い
をしろと。
それから新聞で叩いちゃいけない。
それから裁判権もない。

それで何が起きたかって言うと、
もう有名なのでは直江津事件
これはヤミ米を、信越線、満員電車に
窓を割って入ろうとした朝鮮人を乗客が注意した。
彼らは『この野郎』と言って、直江津駅に着いたら、
その注意した日本人をホームに引き出して、
皆が見ている前でスコップで殴り殺した。

もっと有名なのは浜松事件
これは浜松で朝鮮人が
全てのヤミマーケットを握って、
それに警察が介入したら逆に警官を人質にとって、
殴り殺し始めた。
それでそこにいたのが
関東霊岸島一家小野組という任侠の徒。 
これは警察が手を出せない。
警察官はパクられている、やられているので、
小野組が立ち上がって彼らを救出した。
これを発端にして、
あの浜松の街の真ん中で
天満町で5日間市街戦があって、
3百何人の死傷者が出た。

こんな事、日本の歴史にも載らないし、
新聞も報道しない
わけだ。
この時はさすがに炊きつけたアメリカは、
日本はとにかく朝鮮人を奴隷にしたんだから、
解放して、解放後の奴隷が
少々跳ね上がっても黙認していた。
だけどここまでやるかということで、
結局MPが出て処理した。

でも、日本は奴隷扱いしたと言うんで、
ありもしない強制連行
とか口実にして、
特別永住権
というのを彼らに与えた。
日本はなくてもいい、奴隷扱いしたみたいな格好で、
歴史を引きずらされている。
結局全ての根源がそこにある
今、在日の参政権要求も
『強制連行して連れてきたんじゃないか』

『こっちに住んでいるオレたちに
それくらいやるべきだ』

いう贖罪(ショクザイ)を訴えているわけだ。
で、メディアはさ、
浜松事件
直江津事件なんて調べりゃ分かる。

あと坂町事件
これはヤミ米を全部、、
拠点にしていたのは坂町ってとこで、
警官が袋叩きにされているわけ。
それから富坂署事件、、富坂署だとか生田署に
みーんな朝鮮人が殴りこみかけている。
生田署事件で『この野郎!』ってやっのが田岡一雄。
昔は本当に任侠の徒だった。
今は逆転しちゃったけどね。
中に在日が入っちゃっておかしくなってるけど。

こういう背景を全く知らないままで、
今の現状の在日の参政権問題なんか
考えたらとんでもない事になる。
我々はそういう格好でGHQじゃなくてアメリカ自体が、
自分達が奴隷問題をひっ下げて、
日本を黙らせるためにデッチ上げた
朝鮮半島奴隷化論
みたいな押し付けがあった。
戦後の朝鮮問題って全てこれが根っこにある。
だから日韓交渉を見ると、
向こうの言い分はGHQが創った作文そのもの。
長い間植民地支配して・・・という件。
こっちは持ち出しして鉄道敷いり、電気通したり、
久保田貫一郎 が言ってるけど、
相当やっているのにありがとうでもなくて、
彼らは今でもその思いに乗っかって、
誤解の上に乗っかって日本にいろんな要求している
それをやっぱり踏まえて、
今の韓流を見て欲しいと思う。

「戦後70年間にわたって日本は押せば引く国」
「文句を言えば金を出す国」
という敗戦国に悲哀を味わっていたが、
「本当はどうなのか」
ということを知ってもらう必要がある」

(アパホテル)

アメリカが奴隷制や原爆を
正当化するために、
また中国共産党軍の残虐行為を
覆い隠すために、
戦後、アメリカと中国は一緒になって,

日本を残虐非道な国
に創り上げてきました。
優しい日本人は、相手を刺激してはいけないと思い、
黙っていたからこうなったとも言えます。
事実と違うことは、毅然とした態度で反論しましょう。
われわれ日本人は黙っていてはいけない。
アクセスカウンター