西伯方中学校の思い出





  大学、中学校教員と11年の東京生活を経た後、この西伯方中へ私が赴任したのは
忘れもしない丙午生まれの生徒が入学する年でした。

教員採用の大幅な減少にショックを受けたと同時に、
戦後のベビーブーム生まれの私は
受験生の広い門にかすかな羨望を覚えました。

あの時以来、少子化の流れは止まず、とうとう閉校になるそうですね。
寂しいです。

  しかし、西伯方中には寂しい思い出は、何ひとつありません。

まず最初の出来事は、大三島橋開通記念。

伯方島の印象は「自然がいっぱい」の一言に尽きると思います。

東京(戸塚第一中学校・・・ここも残念なことに閉校になります)の教え子達が
来た時、
「時間が止まっているようだ」と言ったのは、まさに言い得て妙でした。

私は「時間の海」に漂いながら、開山からの最高の夜空に酔いしれました。

ここの天体写真を理科室一面に貼るという夢を実現できなかったことは、
唯一の心残りです。

  また、愛媛に帰って一番戸惑ったのは、教育観の違いです。

例えば、移動教室、修学旅行などの行事は、
戸一中ではすべて生徒が決めていました。

自己主張の強い新宿の生徒に慣れていた私には、こちらの生徒は、
本当に素直で真面目で中学生らしく見えました。

気象観測員の生徒は毎日休みなく気象観測のデータを記録してくれました。
立派です。

夏休みからした運動会の練習、交流学習、
国際結婚して合衆国に渡った生徒等々、
アルバムを見ていると、
生徒との楽しかった思い出が走馬灯のように駆け巡ります。

  私の教え子も、もう40代になりましたね。

いろいろな場所で社会の第一線で活躍していることと思います。

西伯方中を、いつも心の故郷にしてご精進なさって下さい。

      阿部 一生(昭和54年4月〜昭和57年3月) 
閉校記念誌(2008.3)に掲載












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(備考)現在、戸塚第一中学校は、西戸山中と合併して西早稲田中に、
西伯方中は、伯方中と合併して伯方中になっているそうです。
同窓会でお会いできず残念でした。

渡米して3年ですが、

英語は恥ずかしながらうまくできません・・・

ただ言えることは、

先生が教えてくださった発音の仕方は正しかった!

カタカナ英語は通じません。

ああもっと・・・と悔やむ日々です。

先生は本当に正しかった!!

私、証言します!!

Jake 和恵 愛理
(返事)私は最近ベトナム語を習いました。71歳です。
そこで、生徒達がカタカナ英語を使用していたことに、初めて納得しました。

例えば、おはよう(こんにちは/こんばんわ)は
Xin ch'ao.と書きます。
ただしこのワープロはベトナム語が表示されないので正確には表示されていない。
カタカナ・ベトナム語はシンチャオです。

ベトナム語は六声(6つの声調)です。
つまりこのアルファベットには発音も表示しているので
きれいに発音ができるわけです。
シンチャオのカタカナには発音の六声が表示されていないので
正確な発音が出来ません。
しかしこのカタカナがあれば、何とか声が出ます。
つまりカタカナ・ベトナム語は正確な発音が出来ませんが、
ベトナム語を話している気がします。これで相手に通じればいいのですが。

ちなみに北京語は四声です。
これは一つの漢字の発音の仕方が4通りあるという事です。
そして発音が違えば意味が全く異なると言う事です。
日本人は一つの漢字の発音ではなく、読み方を変えて意味を変えたのでしょう。
つまり、訓読みです。
台湾語は八声です。
私が思うにベトナムも日本と同じように
最初は中国の漢字を取り入れたのだと思います。
しかし、その後漢字は難しいので、韓国と同じように漢字は使用しなくなったのでしょう。
現在はアルファベットで表示しています。
日本人にとってもやはり漢字は難しかったのです。
そこで、ひらがなとカタカナを発明して、漢字の難しさを克服したのでしょう。
本家の中国人でさえ昔の漢字は難しくて、現在は簡略化した漢字を使用しています。

面白いと思ったことに、数の数え方が日本語と似ていると思いました。
一つ、二つ、三つ、…です。
MOT C'AI、HAI C'AI、BA C'AI、 …(正確には表示されていない)
モッカイ、ハイカイ、バーカイ …

最も、日本語の 一、二、三 …
イチ、ニ、サン、 …は
昔の中国語である、イー、アー、サン …から来たものでしょう。
西伯方中学校閉校(2008/03)

曽我部先生この絵を、わざわざ持って来ていただきありがとうございます。確かに生徒と一緒に伊方の浜を写生したものです。1980年10/16(S55)思い出しました。(一生)