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<3/8> 失神に至るにはいろいろなバリエーションがあると思う。激しく抵抗したあと急にぐたっとなる生徒、長く最後までもがいている生徒、余り抵抗はしないのに最後の最後に全身の力をふり絞って落ちる生徒。そのつどいろいろなバリエーションの興奮を感じることができるのではないか。そして、相手の生きたいというからだの震えやけいれんをこの手にじかに感じとることができるかもしれない。こんな勝利者の究極の興奮を味わった者は、またチャンスさえあれば絞め落としてみたいと思うかもしれない。和歌山カレー事件の真須美容疑者がヒ素を手に入れたように、絞め技の威力を手に入れた者は、もはや誰にも止められないのではないか。そして、万が一相手が失神していることに気付くのに遅れて死亡してしまったとしても、「絞め技」が立派な技として認められている限り、自分は暴行罪にも傷害罪にも問われないのである。相手に脳傷害が残ったとしても、物忘れが多くなったかなと思う程度ではっきりとはわからないであろう。もし重度の脳障害者になったとしても、これが柔道の試合からきたのか、本来自分がもっている内部要因からきたのか、そのどちらが原因なのか、その因果関係を医学的に証明するには非常に困難であろう。 |
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周りの生徒達も、「彼女には絞め技がある。下手に技をかけると次は自分が絞め落とされるかもしれない」と思い、彼女に対してみんな臆病になるのである。そして相手に「今度の試合で、落とされそうで恐い」と、思い込ませることこそがねらいであり、試合前から勝負は決まったようなものである。 |
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彼女も当事者として、絶対に白旗を揚げるわけにはいかなかったのである。自分の名誉にかけて、どんなことがあっても白旗は揚げられない。一方、自分は今まで何人もの生徒が、息苦しそうに悶えながら気絶していくのを半分は好奇心で、半分は恐怖心で見てきた。しかし、今回最後の試合になって、やっと絞め技をよく使う彼女との対戦が決まった。今度は、自分の番なのである。今までの試合内容を見れば対戦相手のTさんは小さな私に、締め技でくるのはわかっている。自分はみんなの目の前で落ちるかもしれない。つまり自分のプライドを捨てて、畳を叩くか、それとも、相手のTさんと審判に、自分の生命と体を全て預けて、落ちる最後まで闘うか。 |
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例えば、相手が「背負い投げ」が得意なのであれば、友人に投げてもらい、その受け身を何回も練習すれば、投げられることへの恐怖心は無くすことができる。しかし、首を絞められることがわかっていたら、どんな練習をすればいいのか。友人に首を絞めてもらい、息苦しさに耐え何度も失神するという練習を繰り返せば恐怖心がなくなるとでもいうのか。よく落とされる生徒は、落ちるまでの時間がだんだんと短くなると言うことを聞いた。脳のどこかに後遺障害が少しずつできているのだと私は思うが、恐怖からくる精神的なものかどうかはわからない。どなたか知っている人がいらっしゃれば教えていただきたい。あのプロレスでさえも、首を絞めるのは反則技になっている。相撲にしたって、のどわは禁止になっているのではないか。なぜなら首の筋肉や血管や気管を練習によって鍛えることはできないからだと思う。少なくとも、「チームが勝つ為には、いかなる状況においてもネバーギブアップだ。気絶するまで戦え」と、柔道部の顧問から指導されていないようなので、少しは安心した。<3/8> |
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