<4/8> 私は、小学校の時から野球、相撲、陸上競技、バスケットボールの選手として学校代表、また市の代表として、活躍してきた。社会に出てからも、バドミントン、卓球、剣道、テニス、水泳、バレーボール、サッカー、スキー、スケート、ヨットとさまざまなスポーツを楽しんできた。またある競技は生徒に部活動やクラブ活動の中で指導もしてきた。そして、どのスポーツもやっていて良かったと思う。しかし、対戦する前から自分が、『恐い』と思った競技は何一つない。私は彼女達に「絞め落とされるのが恐いのなら、柔道をする資格もないし、早く辞めてしまったら」と言うのは簡単だと思う。しかし、そうではなく、「中学時代に柔道をやっていて良かった」と、思わせるような柔道にしてあげたいのだ。「柔道は好きだけど、落とされるのが恐い」と力なく言う彼女達二人を見ていて、我々大人達が、何かをしてあげないといけないのではないかと思った。彼女達には、柔道の中に「絞め技」というのがあり、この技だけはどうしても恐くて納得できないと言いたいのだと思う。大人の私だって恐いと思うのだから当然だと思う。大体において、今の時代にこんな危険な技が公然と認められていること自体、私には信じられないのだ。首を絞められる立場の人を全く考慮していないルールではないのか。
私達の日常生活で、自分が失神したり、また失神した人を見るという体験をした生徒はそんなにはいないであろう。しかしこの地域の女子柔道においては、話を聞いただけでも20%の生徒が絞め落としており、25%の生徒が絞め落とされ失神しているのである。他の地域ではどうなのだろうか。誰かが絞め落とされると柔道館内は水を打ったようにシーンとなり、全員が注目するのだという。そんな中、審判が慣れた手つきで胸を押して活を入れるがだいたいは2・3回で気が付くという。しかし中にはXちゃん(G中)のようになかなか戻らない場合もあるらしい。その時は、絞め落とした生徒は勿論、他の生徒も恐くて、恐くてみんな蒼白になったということである。Sちゃん(G中)などは自分が絞め落としたのに、失神した相手の死んだような、全く無表情な顔を見て恐わくなり、それ以後二度と絞め技を使わなくなったという。 ↓
中学時代という一番感受性の強い時期に、失神し伸びた身体をみんなの前にさらけ出す。女の子としてこれほど恥ずかしいことがあるだろうか。プロボクシングのように強く鍛えられた選手の、KOシーンとはわけが違う。またプロレスなどでは、ルール違反の危険だらけの技も沢山テレビでよく見ている。しかしこれらは、国民の間で「同意」されており、大人の行う一種のショーであり、手加減ということができる。しかしここで落とされるのはみんな普通のかわいい女子中学生なのである。そしてこんな衝撃的なシーンは忘れようにも忘れられないと思う。落ちた生徒の顔は決して忘れられないだろう。女子の柔道部員は市内には20名ほどしかいないので3年間もしていればみんなお互いの性格などもわかってしまう。
バレーボール部の生徒が「あんたら自分が落とされたら恐わくないの?」と、聞くと「そりゃ恐いよ。しかし他の生徒が落ちるのを見るのは少しだけど興味がある」とも言う。人間は誰でも、心のどこかにそういった神戸の『少年A』のような、残虐的な面を持っているものかもしれない。つまり、我々人間は、大脳をどんどん発達させて進化してきたが、恐竜時代もっていた闘争的な古い脳も今だに、みんなもっているのだと思う。中学校における部活動にはいろいろあるが、1年間に何人もの失神している生徒を、テレビや映画でなく、じかに目の前で、みんなと一緒に見学できるのである。柔道部に入れば、好奇心旺盛な生徒達の気持ちを、少しは満たしてくれるのではないだろうか。<4/8> ↑
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