<6/8> 息子が柔道をしているという母親に合った。気持ちの大きな、とにかく居るだけで周りを明るくする豪快な人である。初めて息子の試合を見に行った時のことである。落とされたのである。失神し全く動かない、自分の変わり果てた息子の姿を見て、気が動転してしまい、「誰か早く救急車を呼んで、早く救急車を!」と思わず柔道館内で大声で叫んだと言う。すると周りの父母から、「あなた、こんなのしょっちゅうあることよ、心配せんでええよ」と、みんなから言われたとのことである。この母親は、これ以後恐くて二度と自分の息子の試合を見たことがないとのことである。
そして、息子が卒業した後で、こんなことを母親に話してくれたと言う。柔道に入部した新入部員は必ず先輩から、顧問のいない所で秘密の儀式のように一人ずつ絞め落とされていったと言うのである。しかし息子が3年になった時には、後輩にはそういったことはしなかったそうだ。勿論これは、非常に特別な学校だとは思う。私は審判のいない所で絞め技を使用すると生命に関わることだけに大変心配である。そして万が一何かあっても全て練習中の事故として処理されるのかもしれない。私はこの母親の話を聞いて、柔道をする人はどんな人の集団なのだろうかと思った。そしてまた、アフリカの秘密の割礼という儀式を思い出した。1憶5千万人のアフリカ女性が数千年に渡って今だに受け継がれているものだ。これは母親が自分の娘が6歳になると、突然小屋の中に連れて行って行う儀式である。小さな娘の泣き叫ぶ中押さえ込んで、娘の性器の一部をカミソリで切り落とすというものである。この儀式から恐くて逃げ出せば、結婚はおろかその部落で生活していくことはできない。毎日6千人もの少女が今日も小屋に連れ込まれている。多分今までに出血多量等での死者はいなかったのであろう。だから今だに、安全で神聖な儀式だと信じて疑わない。閉鎖的な集団のすることは外部の人間には到底理解できないということである。 ↓
 絞め落とされる実態について彼女達からいろいろ取材をしようとしても、これ以後一切口を閉ざしてしまった。私は、バスケットを初めバドミントン、スキー等について色々な技やテクニックを知っている。例えばバスケットのフェイントについても、自分の動きを相手に騙して、仲間にボールをパスしたりシュートするのであり、考え方によっては汚い技であろう。このような相手を騙すテクニックは色々と数多くある。そして毎日の練習というものは、何回も繰り返して体に覚えさせるものである。試合中にいちいち頭で判断していたら相手に見破られてしまうからである。そして、それらについて恥ずかしくて話せない技は何一つない。「絞め技」が投げ技と同じく立派な技なら、いかにして相手を騙して首を絞めるか、堂々と自信をもって話せるはずなのに、話せないのはなぜだろうか。
 我々一般人は、相手の首を絞めるということは、一歩間違えば相手が死んでしまうかもしれないのではないかという認識がある。首を絞めて失神させるということでも、相手の脳への見えない傷害が残るという点で危険なことだという認識がある。しかし柔道をしている人達は、そういった絞め技は危険だという認識がないのだろうか。絞め落とされた生徒を見て気が動転するのは、決まって落とされた生徒の父母である。生徒達は何度も見ているのでだんだん驚かなくなっている。絞め技は、大体において絞め落とすのは他校の生徒に対してである。これは柔道をしている生徒にも、絞め技は危険な技だと認識している証拠ではないか。<6/8> ↑
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